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五辻 忠継(いつつじ ただつぐ)は鎌倉時代中期の公卿。従三位、参議、美濃権守。非参議正三位五辻雅継の二男。母は雅楽頭安倍春元の娘。 後醍醐天皇の実外祖父である。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 文暦6年(1235年)9月10日、侍従に任ぜられる。嘉禎3年(1237年)11月3日、従五位上に昇叙。暦仁2年(1239年)1月23日、能登権介を兼ねる。仁治元年(1240年)10月24日、左少将に任ぜられる。同年12月12日、正五位下に昇叙。仁治3年(1242年)1月5日、従四位下に昇叙。同年10月3日、紀伊守に任ぜられ、同日左少将に還任。寛元4年(1246年)1月7日、従四位上に昇叙。建長3年(1251年)1月20日、左中将に転任。建長6年(1254年)1月7日、正四位下に昇叙。この時、中将を止められる。同年閏5月15日、左中将に還任。弘長元年(1261年)3月27日、蔵人頭に補される。 文永2年(1265年)10月25日、参議に任ぜられる。文永3年(1266年)1月6日、従三位に叙される。同年2月1日、美濃権守を兼ね、同日中に参議を辞した。同年3月3日、本座を許される。文永5年(1268年)10月5日、出家。法名を了恵とする。建治3年(1277年)7月20日、薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五辻忠継」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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