翻訳と辞書
Words near each other
・ 五辻俊雅
・ 五辻安仲
・ 五辻宗子
・ 五辻宗氏
・ 五辻宗親
・ 五辻宮
・ 五辻家
・ 五辻家経
・ 五辻忠子
・ 五辻忠継
五辻斎院
・ 五辻真吾
・ 五辻経子
・ 五辻経氏
・ 五辻通
・ 五辻雅継
・ 五辻高仲
・ 五通橋
・ 五通橋区
・ 五進数


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

五辻斎院 : ミニ英和和英辞書
五辻斎院[ご]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
  1. (num) five 
: [つじ]
 【名詞】 1. street 2. crossroad 
: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 

五辻斎院 ( リダイレクト:頌子内親王 ) : ウィキペディア日本語版
頌子内親王[しょうし]
頌子内親王(しょうし(のぶこ)ないしんのう、天養2年3月13日〔(1145年4月13日) - 承元2年9月18日1208年11月5日)〔)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の皇女賀茂斎院である。鳥羽天皇の第7皇女。母は美福門院女房・春日局(徳大寺実能の娘〔* name=kasuga/>)。崇徳院後白河院近衛天皇は異母兄にあたる。春日姫宮五辻斎院とも呼ばれた。
== 経歴 ==
鳥羽院と春日局との間に生まれる。一条北辺五辻宮(京都市上京区)に住した。病没した僐子内親王に代り、承安元年(1171年6月28日、甥にあたる高倉天皇の賀茂斎院に卜定〔されるが、同年8月14日に病を理由に退下。安元元年(1175年)、父・鳥羽院の追善供養のため、母・春日局と共に願主となり、長日不断の談義所及び鳥羽院らの菩提を弔う所として、西行の奉行により高野山に蓮華乗院を創建。寿永元年(1182年)、後白河院と遊女の間に生まれた園城寺宮静恵阿闍梨猶子とする〔。元暦元年(1184年)出家。五辻斎院御所を坊門院範子内親王に譲って醍醐第に住していたが、建久9年(1198年)に焼亡した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「頌子内親王」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.