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頌子内親王(しょうし(のぶこ)ないしんのう、天養2年3月13日〔(1145年4月13日) - 承元2年9月18日(1208年11月5日)〔)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の皇女、賀茂斎院である。鳥羽天皇の第7皇女。母は美福門院の女房・春日局(徳大寺実能の娘〔* name=kasuga/>)。崇徳院、後白河院、近衛天皇は異母兄にあたる。春日姫宮、五辻斎院とも呼ばれた。 == 経歴 == 鳥羽院と春日局との間に生まれる。一条北辺五辻宮(京都市上京区)に住した。病没した僐子内親王に代り、承安元年(1171年)6月28日、甥にあたる高倉天皇の賀茂斎院に卜定〔されるが、同年8月14日に病を理由に退下。安元元年(1175年)、父・鳥羽院の追善供養のため、母・春日局と共に願主となり、長日不断の談義所及び鳥羽院らの菩提を弔う所として、西行の奉行により高野山に蓮華乗院を創建。寿永元年(1182年)、後白河院と遊女の間に生まれた園城寺宮静恵阿闍梨を猶子とする〔。元暦元年(1184年)出家。五辻斎院御所を坊門院範子内親王に譲って醍醐第に住していたが、建久9年(1198年)に焼亡した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「頌子内親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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