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五辻 経氏(いつつじ つねうじ)は鎌倉時代中期の公卿。従三位参議武蔵守。父は従三位参議五辻忠継、母は正四位上行神祇大副卜部兼直の娘。息男に五辻俊雅、娘に後伏見天皇の生母となった五辻経子がいる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 寛元3年(1245年)1月5日、叙爵。建長元年(1249年)8月30日、従五位上に昇叙。建長2年(1250年)9月16日、侍従に任ぜられる。建長6年(1254年)1月13日、讃岐介を兼ねる。建長7年(1255年)1月5日、正五位下に昇叙。康元元年(1256年)12月13日、左少将に任ぜられる。正嘉2年(1258年)1月5日、従四位下に昇叙。同年5月14日、右少将に遷任。文応元年(1260年)11月7日、近江介を兼ねる。同月15日には従四位上に昇叙。文永2年(1265年)12月25日、左中将に昇進。文永4年(1267年)1月5日、正四位下に昇叙。文永10年(1273年)12月16日、美濃介を兼ねる。弘安4年(1281年)2月1日、蔵人頭に補される。 弘安7年(1284年)1月13日、参議に任ぜられる。同年5月6日、従三位に叙される。弘安8年(1285年)3月6日、武蔵守を兼ねるが同日中に参議と武蔵守を辞退する。同年4月9日に出家し、同日中に薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五辻経氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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