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井上丘隅 : ミニ英和和英辞書
井上丘隅[いのうえ おかずみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [きゅう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground 
: [すみ]
  1. (n,n-suf) corner 2. nook 

井上丘隅 : ウィキペディア日本語版
井上丘隅[いのうえ おかずみ]
井上丘隅(いのうえ おかずみ、文化12年(1815年) - 慶応4年8月23日1868年10月8日))は江戸時代末期(幕末期)の武士会津藩士。
== 生涯 ==
1815年、会津若松甲賀町郭門南で生まれる。井上家は家禄600石。会津藩家中において600石以上の家は34家〔『要略会津藩諸士系譜』「会津藩士知行附」〕のみで、井上は大組物頭を務め、班席は最高格の御式内御納戸紐を許されていた〔『慶應年間会津藩士人名録』166頁-168頁〕。1862年、会津藩主松平容保京都守護職に任命され京に上洛した際に随行し、藩主と共に守護職邸に詰める。
1868年鳥羽・伏見の戦いに参加するが、敗退して会津に戻る。会津戦争時は幼少組頭になる。白河口の戦いで負傷し、10月8日には滝沢口に出陣するが敗走。甲賀町郭門を死守しようとするが、被弾により負傷して戦闘不能になり、やむなく五ノ丁角の自宅へ行き、家族(妻・長女)および臼木氏長女と共に自刃した〔『会津会会報第11号』「会津藩殉節婦人の事蹟」〕。墓所は福島県会津若松市七日町阿弥陀寺「戦士墓」。
なお、次女・雪子は会津藩士の神保修理に嫁いでおり、丘隅自刃の際に井上家に来合わせていたが、丘隅に説得されて嫁ぎ先の神保家に戻った。のちに娘子隊の戦闘に参加して自刃したとも、大垣藩兵に捕らえられてたが自害したとも伝えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井上丘隅」の詳細全文を読む




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