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井上因砂因碩(いのうえ いんさいんせき、天明4年(1784年) - 文政12年(1829年)10月2日)は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家十世井上因碩。元の名は山崎因砂、幼名は新次郎、因済、因随とも称した。石見国出身、六段。 ==経歴== 石見国(現・島根県大田市)の本因坊道策、井上道砂因碩の出た山崎家で山崎外記の子として生まれる。八世井上因達因碩門下となり、初め因済、因随を名乗り、因砂と改めた。肥前国唐津藩水野和泉守忠光の家臣となり唐津に住み、また井上家の門下として五段に進む。 文化7年(1810年)に8世井上春策因碩が病に伏し、跡目を定めていなかった春策に呼び寄せられる。しかし江戸に着いた時には春策は死去しており、遺言に基づき、他の家元三家や外家の服部因淑の世話によって、春策の次女照と縁組み、因淑が後見となり、因砂が十世井上因碩(相続時は九世、後の世系書き換えにより十世)となった。同年に御城碁に初出仕し、安井仙角仙知に二子で5目勝。その後六段昇段。 文政2年(1819年)に、因淑の養子となっていた服部立徹を井上家跡目に迎え、井上安節を名乗らせ、文政7年に隠居して安節に家督を譲る(十一世井上幻庵因碩)。文政12年没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上因砂因碩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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