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井上弘昭 : ミニ英和和英辞書
井上弘昭[いのうえ ひろあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior

井上弘昭 : ウィキペディア日本語版
井上弘昭[いのうえ ひろあき]

井上 弘昭(いのうえ ひろあき、1944年5月21日 - )は、大阪府大阪市西淀川区出身の元プロ野球選手外野手)。
現在は中日スポーツ野球評論家
== 来歴・人物 ==
北陽高校から電電近畿に進む。1965年第36回都市対抗野球大会では本塁打を放ち初優勝に貢献、その後も都市対抗野球に連続出場を続け活躍する。1966年には社会人ベストナインに選出された。
ドラフト1位で広島東洋カープに入団。即戦力として期待されるも1年目のは守備要員。翌に山本浩司が入団してくると控え暮らしが続き三塁手でスタメン出場をする事があった。に川畑和人との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍。中日では持ち前の勝負強い打撃で才能が開花し、以後レギュラーに定着。のリーグ優勝には3番バッターとして貢献した。
には、元同僚の山本と首位打者を争う。僅差で2位に迫っていた10月19日の対広島最終戦では、広島バッテリー(永本裕章投手と道原博幸捕手)から、プロ野球公式戦史上初の「満塁敬遠」を受ける〔ただし、日本シリーズでは1950年に毎日オリオンズ若林忠志が4点リードながら満塁で当日2本塁打を打っていた松竹ロビンス岩本義行を迎えた際に、満塁でも敬遠した例がある。〕(山本はこの試合を欠場していた)。2日後の10月21日のシーズン最終戦で安打を打てば逆転で首位打者になれたが、最終打席で内角への際どい投球を死球と判定され、本人は必死で「当たっていない」と主張したが、判定は覆らず、惜しくもタイトル獲得はならなかった。同年セ・リーグベストナイン(外野手)を受賞。
その後は準レギュラー級として活躍し、に富田勝大島秀晃との交換トレードで、日本ハムファイターズに移籍。常時のスタメン出場はできなかったが、ここぞという場面での勝負強さは少しも錆付いておらず、19年ぶりのパ・リーグ優勝に貢献する。また、同年の日本シリーズではサヨナラヒットも放っている。7月2日の対近鉄戦では、代打で通算150本塁打となる決勝2ランを放ち、この試合で通算200勝を達成した江夏豊の名球会入りに貢献した。のシーズン終了後に現役を引退し、、広島時代のコーチであった広岡達朗監督に請われ、西武ライオンズの守備走塁コーチに就任するも、前年の田淵幸一山崎裕之の引退により右の代打が不足していたことから現役復帰した(コーチ兼任)。しかし、10試合のみの出場に終わり、シーズン終了後に西武を退団し正式に引退し、テレビ愛知・初代プロ野球解説者に就任した。
は中日二軍打撃コーチを務め、からまでは一軍打撃コーチを務めた。
がっちりした体つきから、あだ名は「ポパイ」。攻守共に、闘志を前面に押し出したプレーで人気があった。通算137死球は、引退時点では竹之内雅史衣笠祥雄に次ぐ歴代3位の記録だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井上弘昭」の詳細全文を読む




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