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井上 秀二(いのうえ しゅうじ、1876年(明治9年)4月16日 - 1943年(昭和18年)4月4日〔公益社団法人 土木学会ホームページ 歴代会長紹介 24代会長 。〕)は、日本の土木技術者。 井上成美海軍大将の実兄。井上秀二の家族関係については、井上成美#家族・親類関係を参照。 本記事の出典は、特記ない限り、井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年(昭和57年)、17-19頁。 ==経歴== 宮城県仙台に生まれる。宮城県尋常師範学校附属小学校、宮城県尋常中学校、第二高等学校を経て京都帝国大学理工科大学〔京都大学ホームページ「沿革」 。帝国大学令(大正8年勅令第12号)の公布まで、各帝国大学の、現在でいう「学部」は、「東京帝国大学法科大学」といった名称だった。〕土木工学科に進み、1900年(明治33年)に卒業(京都帝大土木工学科 第1期生)。成績優秀で恩賜の銀時計を受けた。 京都帝大を卒業した直後に母校の助教授を短期間務めた後は、教職・研究職に就かず、内務省などの中央官庁の官吏にもならず、「求められればどこにでも行く」フリーランス的な土木技術者として生涯を送った。 1902年(明治35年)、京都市土木課長に就任〔。1907年(明治40年)-1908年(明治41年)〔、水道事業視察のため、欧米及びエジプトへ出張。帰国後に、京都市臨時事業部技術長 兼 水道課長に就任〔。京都市の上下水道新設・疏水発電増強・市電新設の三大事業に手腕を発揮した。 次いで、横浜市水道局 工事長に就任し、相模川支流の道志川の水を、山梨県南都留郡道志村から、丹沢山地を超えて38キロ隔たった横浜市に給水するという、21世紀の現在も横浜市の主要水源となっている〔横浜市水道局ホームページ「道志水源の保全」 。〕引水工事を完成させた〔井上が横浜市水道局工事長を務めた時期、道志村から横浜市への引水工事の時期は不明だが、横浜市水道局ホームページの下記の記述から、1916年(大正5年)前後と思われる。 横浜市水道局ホームページ「道志水源の保全/道志水源かん養林」 。 「横浜市の水源、道志川が流れる山梨県南都留郡道志村。丹沢山塊を北側に越えた村に、横浜市水道局が経営する広大な水源かん養林があります。道志村は降雨量が多く、また豊かな森林にも恵まれており、そこで育まれた道志川の水質は極めて良好です。/''大正5年(1916年)に横浜市が山梨県から山林を買収''して以来、90年余にわたり、道志水源かん養林は「赤道を越えても腐らない」と賞賛された道志川の水を横浜市民に安定して送り続けるため、重要な役割を果たしてきました」〕。 その後、1919年(大正8年)に猪苗代水力電気会社土木課長、1923年(大正12年)に東京電燈会社理事建設部長を歴任〔。 1936年(昭和11年)-1937年(昭和12年)に土木学会第24代会長を務める〔。その他、水道研究会理事長、水道協会理事、函館水道 顧問、富山電気 顧問、名古屋市顧問を務め〔、1942年(昭和17年)に水道協会名誉会員となり、翌年に死去。'大正5年(1916年)に横浜市が山梨県から山林を買収''して以来、90年余にわたり、道志水源かん養林は「赤道を越えても腐らない」と賞賛された道志川の水を横浜市民に安定して送り続けるため、重要な役割を果たしてきました」〕。 その後、1919年(大正8年)に猪苗代水力電気会社土木課長、1923年(大正12年)に東京電燈会社理事建設部長を歴任〔。 1936年(昭和11年)-1937年(昭和12年)に土木学会第24代会長を務める〔。その他、水道研究会理事長、水道協会理事、函館水道 顧問、富山電気 顧問、名古屋市顧問を務め〔、1942年(昭和17年)に水道協会名誉会員となり、翌年に死去。'して以来、90年余にわたり、道志水源かん養林は「赤道を越えても腐らない」と賞賛された道志川の水を横浜市民に安定して送り続けるため、重要な役割を果たしてきました」〕。 その後、1919年(大正8年)に猪苗代水力電気会社土木課長、1923年(大正12年)に東京電燈会社理事建設部長を歴任〔。 1936年(昭和11年)-1937年(昭和12年)に土木学会第24代会長を務める〔。その他、水道研究会理事長、水道協会理事、函館水道 顧問、富山電気 顧問、名古屋市顧問を務め〔、1942年(昭和17年)に水道協会名誉会員となり、翌年に死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上秀二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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