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井上 蘭台(いのうえ らんだい、宝永2年1月1日〔生年を宝永2年4月20日とする説あり。本稿は(中野、2004年、85頁)の井上修翁『族籍略』によった。〕(1705年1月25日) - 宝暦11年11月27日(1761年12月22日))は江戸時代中期の儒学者、戯作者である。備前岡山藩に仕える。江戸生れ。 名を通煕、字は子叔もしくは叔。子字に鍋助、縫殿、さらに嘉膳とした。通称も嘉膳。最初、璠菴、玩菴と号し、のちに蘭台とするが、本多忠統侯がこの号を用いたことに配慮して図南と号するようになる。忠統侯が歿すると蘭台の号に復した。また戯作のときは玩世教主と称した。 == 生涯 == 幕府侍医 井上玄存の三男として江戸本郷(現 東京都文京区)に生まれる。〔徳川家宣の侍医 井上通翁の三男としてに生まれたとする説あり。森鴎外『伊沢蘭軒』にも通翁の子とされている。本稿は(中野、2004年、86頁)の井上修翁『族籍略』によった。この場合、通翁は祖父にあたる。〕 蘭台は21歳のとき、信州鬼越村の天野曾原に入門したが一年で辞して23歳で昌平黌に入学。林鳳岡の弟子となっている。25歳で林家員長に任ぜられ、命じられて『馴象俗談』を著している。36歳で備前岡山の文学として招聘され、数年後に侍講となった。終生のほとんどを江戸で過ごしたが、44歳の時に朝鮮通信使一行が岡山を通過するに際して地元で7ヶ月間滞在し、通信使の接遇などをして活躍した。俸禄200石、物頭に出世している。56歳、築地の自邸(現 東京都中央区築地一丁目付近)にて歿する。法号 自然居士。墓は目白落合村の泰雲寺にあったが移葬され現在は谷中霊園(台東区谷中1丁目)にある。同門の秋山玉山が死を悼み漢詩を捧げている。 高弟の井上金峨が伝えるところ、蘭台は食事の前にまず一笑いすることを日課としていた。ときに周りの一座の笑いが止まらないほどになることもあったようである。蘭台の快活な人柄を伝える逸話であるが、反面、生涯にわたり女性を遠ざけて妻帯せず、僧のようにストイックな生活であった。だからといって自分の価値観を他者に押し付けるような事は決してせず常に鷹揚だったという。実子はなく死の間際に武蔵の戸口氏より養子 井上四明を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上蘭台」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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