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井下 清(いのした きよし、1884年8月1日 - 1973年8月8日)は、日本の造園家。長く東京市の公園課長をつとめ、東京内の公園緑地を多く生み出し、東京の公園行政の基礎を築いた。また、東京高等造園学校およびその後身である東京農業大学を通じて多くの造園人材者を養成した。 == 人物 == 1905年に東京高等農学校(後の東京農業大学)卒業後、東京市に奉職。元来は都市園芸を専攻していたが、東京市奉職以来上司の長岡安平や林学の本多静六、農学の原煕等の指導を受け造園技術を学ぶ。長岡の下で、東京市の公園改良事業、公園緑地緑化事業に邁進、1914年(大正3年)には東京高等造園学校の設立にも協力し同校講師、1921年(大正10年)技師に任用。1923年東京市公園課長となった。 公園課長就任後に際会した関東大震災後の帝都復興事業で、52の東京市立公園を設計築造する。斬新な市街地小公園の意匠はこれ以来長く全国各都市の小公園の範となっていった。 東京緑地計画立案に際しては、市の実際上の幹部として都市計画東京地方委員会の技師らと共にその実現に尽力。1938年、局長待遇の東京市理事となる。1943年東京都制が実施するに当って公園課長に就任、数少ない勅任技師となり、1946年定年により退職。 都の公職を退いた後は、国土緑化推進委員会常任委員、首都緑化推進委員会常任委員長として緑化事業に専念したほか、母校東京農業大学の教授、理事、常務理事として活躍。 その他代表的な業績に、東京の寄付公園・史蹟名勝庭園の受け入れと制度の整備、東京以外には、悠久山公園改良(新潟県長岡市)、太平山公園(福島県郡山市)、弘前城公園(青森県弘前市)、岡野公園(横浜市)、日和山公園(宮城県石巻市)、立花山遊園(岩手県黒沢尻)、須磨離宮(神戸市)などに関与した。 墓苑(霊園)では、多磨霊園など東京市立墓地霊園の制度整備と計画設計など。東京市管轄の霊園のほかは深草霊園(京都市)、鴨越墓園(神戸市)などに関与している。 このように技術経験を高く評価されて全国各地の公園、墓苑計画、神苑整備計画、動物園計画、工場緑化計画等に参画、指導に当った。都市公園、墓園、道路樹木、社会緑化、文化財保存事業その他社会人園芸の普及に及ぶまできわめて幅広い事業を、行政・財政の面で成功させる。公務員造園家としての功績は多岐にわたっている。常に公園事業の推移進展を先取りし、多くの公園特殊施設を設けて公園の独立採算制という理財面でも成功を収め、財力のもとに有力者邸宅の公園寄付など、独自の発想による新事業を成功裡に収めていった。 また公園事業を通じて社会人園芸の普及啓蒙をはかるため、さくらの会、梅の会、菊の会、花菖蒲の会、蓮の会等を率先して設立。また日本庭園協会、日本造園学会、日本児童遊園協会、東京高等造園学校等の設立に指導的役割を果たす。さらに造園事業を通じて文化財保護事業と観光事業にも尽力した。 著作についても「公園の設計」「建墓の研究」「街路樹」等々10数部公刊している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井下清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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