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井伊氏(いいし)は、日本の氏族。近江国彦根藩の主家である。 == 出自 == 井伊氏は藤原北家の後裔(系譜上では藤原良門の息子である藤原利世の子孫とされる)を称する。江戸時代、『寛永諸家系図伝』以来、公式に称している。三国姓(継体天皇の後裔)とする系図や藤原南家(為憲流)とする説も存在するが、室町時代以来「藤原」を称している資料は現地に残っている〔大永6年「井伊保八幡宮鐘銘写」(『静岡県史 資料編7 中世3』942)に「大檀那藤原朝臣直隆」とあり、直隆は井伊氏と比定されている。〕。 中世に約500年間、遠江国井伊谷〔(引佐郡井伊谷村井伊谷、現・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷及び同区神宮寺町のうち、井伊谷川西岸。井伊谷宮、龍潭寺、井伊谷駅などの所在地。なお井伊谷城は東岸)〕の庄を本貫として治めたとされる。 南北朝時代、井伊谷の豪族であった井伊道政は遠江介であるゆえに井伊介とも称した。道政は比叡山延暦寺座主である宗良親王の元に参じて南朝方として挙兵、遠江国の居城・井伊城に招いて保護した。また宗良親王の子・尹良親王も井伊城に生まれていると伝承されている。しかし、北朝方の高師泰・仁木義長らに攻められて井伊城は落城した〔延元元年(1334年)8月(または9月)、宗良親王は井伊道政の招きに応じて遠江国井伊城に入る(池上大一『与板藩史(上巻)』1982年、与板藩史刊行会、85-86頁。〕。 北朝方、駿河守護今川氏と対立していたが、やがて今川氏が遠江の守護職を得るとその支配下に置かれる。しかし、 今川義元が尾張国の織田信長に敗れた桶狭間の戦いの際に井伊直盛は今川氏に従い討ち死にしたが、戦後まもなく謀反を企てたとして井伊直親は今川氏真に討たれている。 この、一族を多く失った「遠州錯乱」時期に、直盛の娘の井伊直虎が家督を継いだが、勢力は大きく衰退し、 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井伊氏」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ii clan 」があります。 スポンサード リンク
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