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井伊谷三人衆 : ミニ英和和英辞書
井伊谷三人衆[いいのやさんにんしゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [み]
  1. (num) three 
三人 : [さんにん]
 【名詞】 1. three people 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1
: [しゅう]
 【名詞】 1. masses 2. great number 3. the people 

井伊谷三人衆 : ウィキペディア日本語版
井伊谷三人衆[いいのやさんにんしゅう]
井伊谷三人衆(いいのやさんにんしゅう)は、永禄11年(1568年)末に徳川家康遠州攻めを行った際に今川氏真から徳川方へ離反した近藤康用菅沼忠久鈴木重時の3人のことをいう。
遠州浜名湖の沿岸部を有する領主たちは、今川氏への忠誠心が比較的強かったため、家康は遠江侵攻の障害となることを危惧していた。そこで事前に、東三河菅沼定盈を使って懐柔工作に動いた。定盈は、同族のよしみで菅沼忠久に接触。忠久が縁戚の鈴木重時を抱き込み、近藤康用まで取り込んだ。
これにより家康は、強固な浜名湖西岸部よりも防備の弱まった井伊谷から三河主力軍を進めて、曳馬城の年内陥落という早期制圧にこぎつけたのである。
この3人は家康の命を受けて、後に徳川四天王の一人である井伊直政の配下に付けられた。だが、いずれも後に井伊家を離れている〔近藤康用の子秀用は直政と対立して出奔して後に徳川秀忠・池田輝政のとりなしで旗本に復帰できるまで浪人生活を送り、菅沼忠久の孫勝利は幼少で家督を継いだため旗本に戻され、鈴木重時の子重好は他の家臣と対立して隠居と言う形で井伊家を追われて後に水戸徳川家に仕えた(重好の子は井伊家に留まったが、その子は祖父の家督を継いで井伊家に戻らなかった)。〕。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井伊谷三人衆」の詳細全文を読む




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