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井出 台水(いで だいすい、本名・井出治、1865年4月29日(慶応元年4月5日〔『日本陸軍将官辞典』84頁。〕) - 1950年(昭和25年)8月1日〔日外アソシエーツ(2010)、p. 78〕)は、岡山県出身の日本の俳人、陸軍軍人。最終階級は陸軍主計総監(中将相当官)。別号に彭洋。 == 経歴 == 岡山県赤磐郡熊山町(現在の赤磐市)に生まれる。少年時代から父の影響で定形俳句を始めるも、軍人の道を進み、工兵中尉から経理部へ転科し〔、陸軍経理学校卒業後、陸軍省経理局建設課長、陸軍主計監・第18師団経理部長、近衛師団経理部長、朝鮮駐剳軍(朝鮮軍)経理部長等を歴任。1916年8月18日、待命となり、1917年1月17日、予備役編入と同時に陸軍主計総監にまで上り詰めた〔〔『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』512頁。〕。 日露戦争に従軍した際に、軍人仲間で『拍車会』という句会を結成し、以降、荻原井泉水や河東碧梧桐らの指導を受けるようになる。とくに碧梧桐の門下で新傾向俳句、のちに自由律俳句に傾倒。中塚一碧楼が主宰した海紅の同人となり、異色の自由律俳人かつ軍人となった。海紅を去って以降の碧梧桐が主宰した『碧』や『三昧』にも参加し、風間直得の提唱したルビ俳句も詠んでいる。1921年(大正10年)に満州の地で自由律俳句結社、『アカシア会』を結成、大陸に日本の自由律俳句を広めようと尽力した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井出台水」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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