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井原元以 : ミニ英和和英辞書
井原元以[いばら もとい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

井原元以 : ウィキペディア日本語版
井原元以[いばら もとい]
井原 元以(いばら もともち、生年不詳 - 寛永19年5月27日1642年6月24日))は、江戸時代初期の萩藩毛利氏の重臣。
父は井原元良。母は末兼隆忠の娘。正室は毛利秀包の娘。子は井原就行井原就久。娘は益田就固室。諱は元茂、元智、元以。通称は小六、大学、四郎右衛門、加賀守、弾正忠。
== 生涯 ==
井原元良の二男として安芸国に生まれる。安芸の国人であった井原氏は、元以の曾祖父井原元師毛利弘元の娘を娶り毛利氏と関係を深め、のちに従属した。
関ヶ原の戦い後、毛利氏の防長移封に従い元以は、周防国熊毛三輪(2,102石)に給領地を貰い別家を建て、永代家老に次ぐ寄組に列する。慶長7年(1602年)元良の死去により、元以は家名〔兄の井原元尚は周防国熊毛郡三丘に領地替えになり、故あって三尾氏を名のる。〕を継ぎ、毛利輝元に近侍し加判役(家老)に就任し輝元の寵臣の一人として藩政に重きをなした。慶長10年(1605年)3月に萩城築城の際に五郎太石事件が起こった。この時加判役として、対立する事件の当事者同士である益田元祥景祥父子と天野元信熊谷元直との間に仲裁に入っている。
寛永19年(1642年)5月27日死去。家督は嫡男の就行が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井原元以」の詳細全文を読む




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