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井原 (井原 昂、いはら のぼる〔 / たかし〔、1840年 11月6日(天保11年10月13日)〔『高知県人名事典 新版』73頁。〕 - 1923年(大正12年)1月8日〔『東京朝日新聞』1923年1月17日朝刊、5面の訃報より。〕〔『高知県人名事典 新版』73頁では「1月15日」死去。〕)は、幕末勤王の志士、明治期の内務官僚。官選島根県知事。通称・応助、守一。号・松礀、天遊、鉄扉。別名・岩神主一郎〔。 ==経歴== 土佐国高岡郡佐川村(現高知県高岡郡佐川町)で、土佐藩家老・深尾家家臣、古沢南洋の長男として生まれる。本家の岩神家を継ぎ岩神主一郎と改名したが、その後、曾祖父の井原家を再興し改姓〔。 武市瑞山から剣法を学び、文久元年(1895年)、土佐勤王党に加盟した。上洛し尊王攘夷運動に加わるが、勤王党の獄で父・南洋、弟・古沢滋と共に投獄された。慶応3年末(1868年始め)に釈放され、慶応4年、伊予松山藩征討の深尾重愛家老のもとで従軍。その後、土佐藩兵の教頭などを務めた〔。 明治3年(1870年)東京で一等士官となる。以後、大阪鎮台出仕、司法省検事局勤務、元老院権少書記官、高知県権参事などを歴任し、1877年初めに退官した〔。 1877年8月、立志社の獄に連座し、1878年8月、禁獄10年の判決を受け秋田監獄に収監された。1883年、特赦によって出獄した〔。 その後、再び官途に就き、群馬県吾妻郡長、同北甘楽郡長、千葉県香取郡長、沖縄県参事官、同書記官、山梨県書記官、熊本県書記官、新潟県書記官、三重県書記官、広島県書記官などを歴任〔『官報』〕。 1902年10月、島根県知事に就任。1904年11月、知事を休職となった〔『新編日本の歴代知事』783頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井原昂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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