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井尻 正二(いじり しょうじ、1913年6月26日 - 1999年12月1日)は、北海道小樽市出身の古生物学者、地質学者。 == 略歴 == 1933年4月、動物学者で大伯父に当たる東京帝国大学教授・谷津直秀の勧めで東京帝国大学理学部地質学科に進学。東京帝国大学地質学科卒。国立科学博物館・東京大学地震研究所勤務、地学団体研究会の創設参画。「レッドパージ」により国立科学博物館の職を追われ、著述で生計を立てながら研究にたずさわる。1963年から東京経済大学教授。1969年に職を辞し、ふたたび著述に専念。 日本の化石研究の第一人者。1948年に野尻湖湖畔で、地元の旅館主人により発見されたナウマンゾウの臼歯化石の研究から始まった野尻湖発掘調査を指導し、日本の氷河時代の生物相や自然環境、旧石器時代の人類の生活環境などを解明(野尻湖発掘調査は専門家でない人も参加したいわゆる「大衆発掘方式」で現在も継続されている)。1949年 九州大学理学博士「Desmostylus japonicusを中心とせる哺乳動物歯牙形態発生理論に関する一考察」。 井尻の最大の功績は、化石の微細構造の研究にもとづく「古生物学の近代化」である。戦前に「東京高等歯科医学校」(現在の東京医科歯科大学)で、化石を用いた過去の生物の研究に非常に重要な、人やその他の哺乳類の歯の解剖学、組織学を学んだ。戦後間もない時期に、マンモスの歯の化石から抽出した化石有機基質によって、人工的な石灰液中で歯を構成するリン灰石を晶出させることに成功した研究など、いくつもの英文論文を公表し、記載・分類が中心だった古生物学に、化石の微細構造や生化学的研究を取り入れ、新しい分野を切り開いた。研究推進のための組織として、大森昌衛らと共に化石研究会を設立し、多くの研究者を育てた。同時に「実験古生物学」の発展にも力を注ぎ、さらに、晩年は「古生物学的進化論」の体系化に熱意を傾注した。井尻の根幹的な関心は、プレダーウィンをも念頭に置いた「古生物学的進化論」の確立にあったが、これは道半ばで未だ達成できないままとなっている。 主著に『古生物学論』(のち改訂され『科学論』)、『化石』(岩波新書)、『地球の歴史』(共著・同)、『日本列島』(共著・同)、『古生物学汎論』、『古生物学各論I-IV』、『ヘーゲル大論理学に学ぶ』など。大月書店から『井尻正二選集』(全10巻)が刊行されている。 地学団体研究会の主要な創設者として、同会の活動に長年にわたり大きな影響を与えた。当時の「日米科学協力」といわゆる「近代主義」に強く反対し、プレートテクトニクス論に批判的な立場を取った。2008年に泊次郎は著書『プレートテクトニクスの拒絶と受容』(東京大学出版会)において、 この井尻の姿勢が日本におけるプレートテクトニクス論の受容の遅れを招いた一因であり、日本の地質学の発展を妨げたと指摘した。 地質学者としての活動だけではなく、師と仰いでいた詩人吉田一穂の研究書の編纂も行った。 哲学専攻・見田石介と交流があり、見田は野尻湖発掘にも参加した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井尻正二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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