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井岡 一翔(いおか かずと、1989年(平成元年)3月24日 - )は、日本のプロボクサー。第33代日本ライトフライ級王者。第13代WBC世界ミニマム級王者。第21代WBA世界ミニマム級王者。第27代WBA世界ライトフライ級王者。第75代WBA世界フライ級王者。世界最速での3階級制覇王者〔井岡が世界最速「3階級獲ったぞ!」 一族の悲願成就に涙… スポニチ Sponichi Annex 2015年4月23日〕。父で元プロボクサーの井岡一法が会長を務める井岡ボクシングジム・プロフェッショナル所属。大阪府堺市出身。興國高等学校卒業、東京農業大学中退。メディア対応などについてはトラロックエンターテインメントとマネジメント契約を結んでいる。 井岡ボクシングジム初代会長で井岡ボクシングトレーニングジム(通称井岡弘樹ジム)会長の元世界2階級制覇王者井岡弘樹は叔父(一法の弟)。兄弟は弟が2人いる。 == 来歴 == === アマチュア時代 === 小学生の時には少年野球のチームに所属。中学1年時に叔父が所属していたグリーンツダジムでボクシングを始め、中学3年時に叔父と父が設立した井岡ジムへ移籍。興國高等学校在学中にはライトフライ級で2年時に選抜大会、インターハイ、晴れの国おかやま国体で優勝し、2005年度アマチュア部門新鋭賞を受賞。3年時も選抜大会、インターハイ、のじぎく兵庫国体の各大会で優勝して粟生隆寛・大迫亮らに次ぐ史上3人目の高校6冠を達成した〔井岡一翔アマで95勝10敗、高校6冠 日刊スポーツ 2009年4月12日閲覧〕。 高校卒業後は東京農業大学に進学して北京オリンピック出場を目指したが、1年時の全日本アマチュアボクシング選手権大会決勝で大久保賢児に1ポイント差で敗れ出場を逃した。翌2008年のキングスカップでは、前年の世界選手権で銅メダルを獲得したタイのアムナット・ルエンロン〔AIBA(国際ボクシング協会)によるアムナー・ルンルーンの主な試合結果 〕に準決勝で敗れ、銅メダルを獲得〔井岡を破った男が初代IBFアジア王者に! ボクシングニュース「Box-on!」 2013年2月18日〕。しかし、この時の井岡はオリンピックを視野に優勝を狙っていたため、「銅メダルもメダルなしも自分としては一緒」と感じていた。同年の全日本選手権の決勝では林田太郎(駒大1年)に1ポイント差で敗れ2年連続準優勝となった〔林田はNHKのインタビューで「後半2Rはポイントを取られて負けたと思った」と語った。〕。大学では秋田わか杉国体・チャレンジ!おおいた国体で優勝したが〔秋田国体団体は熊本が優勝 少年は全階級RSC決着 「月刊ボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007年10月8日閲覧。〕〔千葉、広島が同点優勝 - 大分国体 「月刊ボクシングワールド」オフィシャルサイト 2008年10月2日閲覧。〕、北京オリンピックという目標が消えたことを理由にプロ転向を決め、大学を2年途中で中退した〔井岡一翔、プロの世界で輝け スポーツ報知大阪版 2009年1月21日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井岡一翔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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