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井森 美幸(いもり みゆき、1968年10月26日 - )は、日本のタレント、バラエティーアイドル、女優、歌手。所属事務所はホリプロ。 群馬県甘楽郡下仁田町出身。身長160cm。血液型はA型。未婚。一人っ子。 == 来歴・人物 == 堀越高等学校卒業。1984年(昭和59年)の第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンで12万人の中からグランプリを獲得(鈴木保奈美、相原勇も参加)し、1985年(昭和60年)の春、4月21日にアイドル歌手としてキャニオン・レコードより85年一押しアイドル歌手デビュー。デビュー曲は『瞳の誓い』(本人出演ライオンBan16シリーズ 1985年度CMソング)。CMではサビの部分の歌詞を変え ♪ 私夏のヒヤシンスなの ♪というバージョンが流れた。当時のキャッチフレーズは「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」。オリコン週間チャート最高位32位を記録し順調なスタートを切った。また、同曲ではメガロポリス歌謡祭で優秀新人エメラルド賞を受賞。同期には本田美奈子.、中山美穂、芳本美代子、斉藤由貴、南野陽子、森口博子、浅香唯、松本典子、森下恵理、佐野量子、おニャン子クラブ、森川美穂などがいる。 デビュー2年目の1986年、テレビドラマ『遊びじゃないのよ、この恋は』(1986年(昭和61年)、TBS)の主演に抜擢された。大手ホリプロのアイドルとして強くプロモートされたが、アイドル歌手としては芽が出なかった。尚、同ドラマ挿入歌『恋は理解力』で大幅にセールスダウンしてしまった。 1987年(昭和62年)ごろから山瀬まみが、アイドルとしては花が開ききらなかったが、三枚目的な受け答えもこなすタレント性があり、バラエティー番組等で重宝するアイドル=バラドルと呼ばれ始め、それを追随するように松本明子・森口博子らと共にクローズアップされ『元祖バラドル』『バラドルのパイオニア』の一人として名を連ねるようになった。40歳を過ぎた現在もバラエティー番組出演時には全盛期と同じキャラクターを発揮する稀有な存在といえる。 現在も独身。そのため、デビュー当時のキャッチフレーズも相まってバラエティ番組で「未だに誰のものでもありません」などとネタにしている。バラエティ番組では典型的な三枚目キャラが多いせいか、共演者からは女性らしさに欠けると評されることもある。寝るときは、パジャマをズボンにインしている。しかし、それに反して女性誌に登場する際は健康的で引き締まった肢体が美しいと評されるなど、容姿やスタイルは悪くない(本人も自負することがある)。ただしデビュー当時は「脚が太い」と指摘されることも多かった。 スカウトキャラバンの予選時に課題の一つとして踊ったレオタード姿での『ジャズダンス』と称する映像が現在も残っており、そのダンスが相撲の稽古の「鉄砲」のような奇妙な振り付けになっていることからしばしばバラエティ番組のネタとして使われている(なだぎ武にはネタ中に「もう何だかんだで5000回ぐらいテレビで流れてる」と皮肉〔爆笑レッドカーペットでのやまもとまさみとのコラボカーペットにて〕 られ、また、有吉弘行には「ダンスの天才」のあだ名を付けられた)。その後、2007年(平成19年)8月19日の24時間テレビ愛は地球を救うの深夜放送の人生が変わった瞬間100連発の中でレオタード姿の「ジャズダンス」が流れ、深夜3時頃にリベンジということでジャズダンスを何回か踊った。 2007年(平成19年)9月19日に初のベストアルバム「井森美幸 SINGLE COLLECTION 〜井森美幸に2000円!!〜」をリリースした。タイトルは担当するラジオ番組で募集して選出した。 2008年(平成20年)4月より土曜日の中央競馬中継番組であるウイニング競馬(テレビ東京)のMCを担当。以前より競馬好きを公言していたこともあり、仕事の依頼が来たときは二つ返事で引き受けたという。番組内では「しあわせ馬券」というコーナーも持ち、メインレースの予想をしていた。2013年(平成25年)に同番組を降板後も日曜日の競馬中継番組である「みんなのKEIBA」(フジテレビ)にゲストとして度々出演している。また、大のプロ野球好きでもあり、それとともに熱心な高校野球ファンでもある。 同年5月12日よりTBS・愛の劇場「再婚一直線!」に出演。1986年(昭和61年)の『遊びじゃないのよ、この恋は』以来22年ぶりに主演を務めることになった。 2008年(平成20年)12月10日、出身地である群馬県の宣伝を行う「ぐんま大使」に中山秀征とともに任命された。〔ぐんまの広告塔「ぐんま大使」 群馬県庁 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井森美幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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