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井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤金一(くどう きんいち)、1937年3月18日 - 2007年1月17日)は、日本の演歌歌手。 == 来歴・人物 == 青森県弘前市出身。女優の工藤夕貴、元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。二番目の妻は声優の青羽美代子。 弘前のひとかどの名士宅に出生、同地では中学生の頃から歌唱力は評判であった。 中学卒業後、歌手を目指して上京。1963年に「男船」(作詞・松井由利夫、作曲・大沢浄二)で東芝音楽工業よりレコードデビューを果たす。デビュー第二弾の「あゝ上野駅」は井沢八郎の代表曲であると同時に、第二次世界大戦後の日本の世相を反映する代表曲となった。他に「男傘」「北海の満月」などのヒット曲がある。作曲家・大沢浄二が恩師である。 伸びやかでハイトーンを特徴とする歌声で、晩年もショーやテレビ番組などで活躍していた。私生活では料亭経営者の令嬢と結婚、長年連れ添い一男一女(夕貴・正貴)を授かった。 しかし、1983年に交通違反の不出頭、1985年にデートクラブで16歳の女性を買春しての淫行〔愛知県の青少年保護育成条例に触れる行為だったが、井沢が相手の女性の年齢を知らなかったため、逮捕や起訴はされなかった。〕、といった不祥事を起こす。さらに隠し子の存在も明らかとなる。こうしたスキャンダルのため、一時、芸能活動ができなくなったうえ、夫人と不和となりこの婚姻関係は1989年に破綻。その後、縁があり交際を続けてきた青羽と1994年再婚し、死ぬまで連れ添った。 2005年秋頃、体調不良を訴え検査の結果食道がんが見つかり手術を受けるが、翌年5月にはがんがリンパ節に転移。同年秋に再入院し、治療に努めた。 2007年1月17日午後11時18分、食道癌のため自身の転機の地でもある上野の永寿総合病院にて死去。。 井沢八郎が亡くなった1月17日は、奇しくも娘・工藤夕貴の誕生日であり、晩年和解を果たした夕貴は実父の死に人目を憚らず悲嘆した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井沢八郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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