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井狩吉雄 : ミニ英和和英辞書
井狩吉雄[いかり よしお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

井狩吉雄 : ウィキペディア日本語版
井狩吉雄[いかり よしお]

井狩 吉雄(いかり よしお、1951年5月14日 - )は元競輪選手滋賀県近江八幡市出身。日本競輪学校第35期卒業。日本競輪選手会滋賀支部所属。師匠は田中広光(21期・引退)。ホームバンクは大津びわこ競輪場
== 戦績 ==
中学生時代はハンドボール選手として滋賀県民体育大会で優勝、また駅伝ランナーとして、滋賀中学駅伝で2位を経験している。滋賀県立八日市高等学校に進学してから自転車競技を始め〔還暦攻めの銀輪  大津在住の競輪選手 井狩さん - 京都新聞 2012年4月9日付〕、中京大学自転車競技部時代は主将を務めた。同大学時代の主な実績として、カナダ・ブリティシュ・コロンビア3日間ロードレース日本人選手総合第1位、全国地域対抗自転車競技選手権大会・ポイントレース優勝などがある〔体育会の歩み|中京大学 体育幹事会 - 2010年10月7日閲覧〕。
中京大学卒業後は日本競輪学校に第35期生として入学。在校競走成績及び卒業記念レースはいずれも、松田隆文中野浩一に次いで3位(84勝)だったことから、『35期の三羽烏』の一人と謳われる。1975年5月15日、ホームバンクのびわこでデビューし、初勝利も同日。後2日間も勝利して、デビュー開催で完全優勝を果たした。
1977年全日本新人王戦決勝5着。1996年共同通信社杯競輪まで、断続的ながらも特別競輪(現在のGI並びにGII)に参加していた。
その後は日本学生自転車競技連盟の役員〔日本学生自転車競技連盟・役員名簿 - 2010年10月7日閲覧〕など裏方での仕事の傍ら、競走にも随時参加し、2009年10月6日には奈良競輪場で行われたA級チャレンジ決勝戦を制し、競輪選手史上最年長優勝(当時満58歳)を達成する〔レース結果 - KEIRIN.JP 2010年10月7日閲覧〕。2011年5月20日には向日町競輪場においてA級2班格付での還暦出走を達成し、同年11月17日には西村康博の後を受ける形で現役最年長選手となった。その後2012年にA級2班へ復帰し高齢でのA2在位記録更新も果たしている。61歳の年齢で迎えた、2013年2月5日に行われた和歌山2レースで勝利〔2013/02/05(初日)第2レースA級チャレンジ予選 - KEIRIN.JP〕。
2013年9月13日(Yahoo!ニュースでは16日と表記されている)に松山競輪場第1Rで落車し、くも膜下出血を発症。その後数ヶ月にわたる長期欠場が続いていたが12月20日に引退することを表明、同24日に引退セレモニーが行われ、2014年1月9日に選手登録を削除し38年間の競走生活に終止符を打った。通算出走3043回、優勝19回、428勝。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井狩吉雄」の詳細全文を読む




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