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井笠鉄道客車第10号形気動車(いかさてつどうきゃくしゃだい10ごうがたきどうしゃ)は、井笠鉄道に在籍した気動車の1形式である。一般には戦後の形式称号であるホジ7形の名で知られている。 本項ではほぼ同型の改良増備車である客車第11号形(ホジ8・ホジ9)についても併せて取り扱う。 == 概要 == 1927年3月に竣工したジ1形ジ1・ジ2を筆頭とする〔他に1927年7月竣工のジ3形ジ3・ジ5、それに1929年4月竣工のジ6形ジ6の3両が在籍。いずれも日本車輌製造本店製。〕、一連の「軌道自動車」〔あるいは単端式気動車とも称する。フォード製自動車用駆動システム・機関を流用した簡易な構造の、片運転台式小型2軸気動車である。〕群は、乗車定員数が少ないものの高頻度運転の実施によって、井笠鉄道側の期待を上回る絶大な集客力を発揮した〔そればかりか、車掌が乗務すると定員の少ない(17人から20人前後)これらの小型気動車では乗客の積み残しが多発したことなどから、車掌省略、つまり現在のワンマン運転に相当する運行形態を導入することを強いられるほどであった。この斬新な試みは、当時井笠と同様に台頭しつつあったバスとの競合に悩まされていた同業他社の注目を集め、これらの最新鋭気動車の視察・見学に全国から多数の地方私鉄幹部が井笠本社を訪れた。このため、井笠側では気動車導入のメリットがいかに大きいかを説いたガリ版刷りのパンフレットを独自に作成し、そういった来訪者に配布して対応したといい、実際にも紀州鉄道などの保存する文書綴りからそのパンフレットが発見されている。なお、井笠のこの気動車導入は、特にその後の瀬戸内地域に点在した各地方私鉄の気動車導入や、それに伴う車掌省略運転の実施、さらにはそれらを活用した高頻度運転の実施に多大な影響を及ぼす結果となった。〕。このことに満足した井笠鉄道首脳陣は、その増備として大型でより本格的な機構を備える2軸ボギー式ガソリンカーの導入を検討するようになった。 もっとも当時は日本における気動車開発の黎明期であり、メーカー各社は最適な機構を模索して様々な試行錯誤を繰り返していた。ことに井笠鉄道にとっては開業以来の取引があり、「軌道自動車」の製造元でもあった日本車輌製造(日車)本店は、この「軌道自動車」が大ヒットしたが故にその方法論に拘泥して技術的な迷走を続けており〔当時の同社は、単端式と同じ自動車用エンジンを2基搭載しそのラジエターを車端部に並べて搭載する奇怪な機関・駆動システムを備える2軸ボギー車や、単純に単端式気動車を背中合わせに接合した双頭式と呼ばれる極めて乱暴な構造の車両を製造するなど、同時期の同業他社と比較して大きく出遅れていた。〕、井笠はこの大型ガソリンカーの導入に当たって別のメーカーを選定する必要に迫られた〔もっとも本形式が発注された1931年には日車本店は試行期を脱し、18m級120人乗りの江若鉄道C4形気動車などの安定した性能を発揮する大型2軸ボギー気動車の開発に成功している。このため、井笠のこの判断はやや拙速に過ぎたとも見られる。〕。 そこで白羽の矢が立てられたのが、当時大阪・堺に所在し鉄道省指定工場として制式客貨車を納入する一方で、ジ1形と同じ1927年に日本初の実用両運転台式ガソリンカーである南越鉄道ガ1を製造し、その後次第に西日本の地方私鉄へ気動車の販路を広げていた梅鉢鉄工場であった〔当時、同社は子会社である梅鉢自動車が日本フォード社の代理店であり、フォード製自動車用エンジンや変速機、それに補修用スペアパーツの調達で優位な立場にあった。その一方で同社は、鉄道用ガソリンカーにおいて前後方向に任意に走行可能な両運転台式を実現する上で最重要コンポーネントである逆転機を自社で独自に開発し搭載するなど、自動車用部品に拘泥せず適切な設計を行いうる技術力を保持していた。〕。こうして1931年10月認可〔竣工は1931年11月27日。〕で客車第10号としてホジ7が、1932年3月認可〔竣工はいずれも1932年4月18日。〕で客車第11号としてホジ8・ホジ9が、それぞれ梅鉢鉄工場で製造されることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井笠鉄道客車第10号形気動車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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