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享徳[きょうとく] 享徳(きょうとく)は、日本の元号の一つ。宝徳の後、康正の前。1452年から1454年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は足利義政。 == 改元 ==
*宝徳4年7月25日(ユリウス暦1452年8月10日) 三合の厄を避けるため改元 *享徳4年7月25日(ユリウス暦1455年9月6日) 康正に改元 当時の関白であった一条兼良の強い意向によって行われた改元とされている(『建内記』享徳元年7月25日条)〔久水俊和「室町時代の改元をめぐる公武関係」(初出:『年報中世史研究』34号(2009年)/改題所収「改元をめぐる公家と武家」久水『室町期の朝廷公事と公武関係』(岩田書院、2011年) ISBN 978-4-87294-705-2)〕。 なお、康正改元当時、室町幕府から追討を受けていた古河公方足利成氏は康正以後の改元を認めず、以後も関東の広い地域において、「享徳27年」(=文明10年=1478年)まで用いられていた(享徳の乱)。これについては、京都の室町幕府に抵抗して改元を受け入れなかったとする佐藤博信〔佐藤「足利成氏とその時代」(『古河公方足利氏の研究』所収)。なお、康正改元は将軍足利義政の武家執奏による改元とされる(『康富記』)。〕説と室町幕府が改元詔書を関東管領上杉氏(幕府方)のみに下したからだとする峰岸純夫〔峰岸「封建時代の年号と天皇」(東京歴史科学研究会『転換期の歴史学』所収)。なお、峰岸は東国における改元には鎌倉府への改元詔書到達と吉書始の儀式を必要としたとする。〕説がある〔。
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