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京極政光 : ミニ英和和英辞書
京極政光[きょうごく まさみつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
: [きょく, ごく]
  1. (adv,n) quite 2. very 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

京極政光 : ウィキペディア日本語版
京極政光[きょうごく まさみつ]
京極 政光(きょうごく まさみつ、宝徳2年(1450年) - 文明5年11月12日1473年12月1日))は、室町時代後期の武将京極持清の次男で、勝秀は兄、政経は弟。高清は甥(弟とも)。姉妹に畠山政長室。通称は四郎、官位は治部少輔大膳大夫
初めは佐々木氏庶流の黒田氏の養子に入ったが、応仁の乱の只中で父と兄がそれぞれ応仁2年(1468年)、文明2年(1470年)に死去したため家督と守護職は甥の孫童子丸が継承、政経と守護代多賀高忠が補佐した。しかし、政光はこれに不満を覚え多賀清直と共に孫童子丸の庶兄・乙童子丸(高清)を擁立して六角高頼と組んで西軍へ寝返った。政経・多賀高忠は六角政堯と共に東軍へ留まり、文明3年(1471年)に孫童子丸が夭折すると政経が次の当主になり、京極氏の抗争が勃発した(京極騒乱)。
文明4年(1472年)に政経派を撃破、政経らを追放して乙童子丸を当主に据えて多賀清直と共に後見人となったが、翌年に死去。滋賀県米原市徳源院に墓がある。
後に黒田氏は播磨へ流れ着いて土着し、戦国時代黒田孝高を出すが、政光との関係は不明。
== 参考史料 ==

*小和田哲男編『戦国大名閨閥事典 第二巻』新人物往来社、1996年。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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