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京極 高数(きょうごく たかかず)は、室町時代中期の武将、守護大名。室町幕府侍所頭人兼山城守護、出雲・隠岐・飛騨守護。京極高詮の次男で高光の弟。多賀高忠の父。初名は高員(読み同じ)と称した。官途は加賀守等。 応永18年(1411年)に飛騨の国司姉小路尹綱(あねがこうじ ただつな)が幕府に背いた飛騨の乱が起きると、幕府軍の総大将に任命され、越前の朝倉氏、甲斐氏、信濃の小笠原持長らと共に5千余りの兵を率いて鎮圧している。応永28年(1421年)から正長元年(1428年)まで侍所頭人と山城守護も務めた。 応永20年(1413年)に兄高光が亡くなり甥の持高が後を継ぐが、持高も永享11年(1439年)に子を残さないまま亡くなる。薩戎記はこの後に高数が家督を継いだとしているが、高数を当主には含めない史料も多い。 嘉吉元年(1441年)6月24日、赤松満祐が開いた酒宴に6代将軍足利義教、諸大名、公家らと共に招かれ、宴の最中に義教が赤松氏の家臣により暗殺される(嘉吉の乱)。管領である細川持之を始め多くの諸大名が逃げ出す中で、高数はその場に残って戦い、討たれた。 京極氏宗家の家督は持高の弟である持清が継いだ。高数には息子がおり、足利義教から偏諱(「教」の字)の授与を受けた長男の教久(のりひさ)は別家し(=京極加州家)、次男の高忠は多賀氏の家督を継いだ。 ==参考史料== *西讃府史 *薩戎記 *嘉吉記 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京極高数」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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