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大陸打通作戦(たいりくだつうさくせん)は、日中戦争中の1944年(昭和19年)4月17日から12月10日にかけて、日本陸軍により中国大陸で行われた作戦。正式名称(日本側作戦名)は一号作戦。その結果発生した戦闘についての中国側呼称は豫湘桂会戦。前半の京漢作戦(コ号作戦)と後半の湘桂作戦(ト号作戦)に大きく分けられる。日本側の投入総兵力50万人、作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、計画通りの地域の占領に成功して日本軍が勝利したものの戦略目的は十分には実現できなかった。中国軍の敗北により、アメリカのルーズベルト大統領の中国に対する認識は変化した(後述)。 == 背景 == 本作戦は服部卓四郎・大本営陸軍部作戦課長が企画立案し敢行したもので、次のような複数の戦略目的があった。 * 華北と華南を結ぶ京漢鉄道を確保することで、南方資源地帯と日本本土を陸上交通路で結ぶこと。通商破壊により日本の海上交通は被害を受けつつあった。鉄道確保は、減少しつつある中国戦線の兵力の機動力を高めて、〔オールカラーでわかりやすい!太平洋戦争 172頁〕小兵力での戦線維持を実現する狙いもあった。 * アメリカ陸空軍の長距離爆撃機B-29基地に使用されると予想される航空基地を占領し、本土空襲を予防すること。1943年11月に台湾の新竹空襲が起き、北九州空襲への危機感があった。 * 蒋介石の率いる中国国民革命軍の撃破とその継戦意思を破砕すること。日本の無条件降伏を通告したカイロ会談参加の三国の中で最も弱体の中国国民党勢力を叩いて、カイロ宣言の裏にある米英の対日戦略を崩壊させる狙い。 * 戦況悪化の中で勝利のニュースを作り、国民の士気を維持すること〔伊藤、299頁。〕。 当時、日本軍は太平洋方面での防衛体制構築のため、中国戦線から部隊を抽出しつつあり、支那派遣軍(司令官:畑俊六大将)は太平洋戦争開始時の兵力90万人以上から62万人へと減少していた。大陸打通作戦は1943年夏ごろから大本営で検討されていたが、このような兵力上の問題からなかなか実施決定に至っていなかった。しかし、台湾の新竹空襲など危機感の高まりから、ついに実施が決定したのである。支那派遣軍の指揮下にある25個師団と11個旅団のうち、歩兵師団17個と戦車師団1個、旅団6個が投入されることになり、太平洋戦争開始以来最大の作戦となった〔伊藤294~295頁。〕。防諜上の観点から、参加部隊の通称号は、一部で正式なものとは異なる臨時の兵団文字符を使用した。 ただ、大陸打通作戦の実施については、なお異論もあった。第11軍の参謀の間では、航空基地制圧及び中国国民党軍の継戦意思破砕という目的のためには、首都である重慶・成都方面への侵攻の方が有利であるとの意見があった〔伊藤、322~324頁。〕。また、食料・物資補給の観点から作戦実施に慎重な意見もあった。東條英機参謀総長は本作戦を認可しながらも「敵航空基地破壊を徹底し、要らざる欲を出すな」と作戦目的を航空基地破壊に限定するよう指示したが、服部はあくまで陸上交通路を結ぶことに拘り、作戦計画を変えなかった。 一方中国側の兵力は、1944年1月時点で全土に約300万人存在すると考えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大陸打通作戦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Operation Ichi-Go 」があります。 スポンサード リンク
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