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京王電気軌道125形電車(けいおうでんききどう125がたでんしゃ)は、現在の京王電鉄京王線に相当する路線を運営していた京王電気軌道が1933年に投入した電車である。 == 概要 == 1933年に日本車輌製造(日車)東京支店で125 - 130の6両が製造された。京王としては初の日車製車両で、また貴賓車500号以外では初のシングルルーフの電車である。モーターは1両当たり2個装備されている。側扉は当初2扉であったが1940年に中扉が増設され3扉となっている。 1944年に京王電気軌道が東京急行電鉄(大東急)に統合された際、デハ2125形2125 - 2130に改番された。また、前照灯の屋根移設、救助網を排障器に交換、長編成化に伴い非常管付き直通ブレーキの自動ブレーキ化、更にホーム嵩上げにともない前後扉のステップは撤去されたが、その痕跡である裾部張り出しは後述の2130を除き廃車時まで残存した。 2126は1947年2月27日の高幡不動での火災で被災し、1948年の京王独立後に桜上水工場にて復旧工事が行われた。しかし、復旧の際に屋根を鋼板張りとしたものの雨漏りが酷く、後年再整備としてルーフィング張りに改められていたため、乗務員扉を除けば本形式他車と形状差が少ないものとなった。だがその後も被災時の鋼体歪みにより、定期検査等で分解する際には窓枠に合い番を付け、歪みに合わせて調整せねば窓が円滑に開閉しない状態であったという。 一方、2130は1952年10月に衝突事故を起こし、翌月日車で復旧工事がされた際、左片側全室運転台化とモーター増設(2個モーターを4個モーターに)が行われ、ステップ跡の裾張り出しも撤去された。同車は後年連結面側に広幅貫通路が設置され、サハ2110形、デハ2400形との3両貫通編成となった。 1962年頃、2126・2130は運転台を撤去して中間電動車化がされたが、2126は同年に廃車となっている。他の5両は1963年の京王線架線電圧1500V昇圧まで使用された。 昇圧後、2127 - 2129は廃車・解体された。2130は220系に改造されクハ231となったが、これも1969年に廃車・解体された。また、2125は1964年に東横車輛電設で側扉2扉化・ステップ設置(軌道時代のステップ跡を利用し再設置した)・運転台の移設(中央→左側)・狭軌化などの改造のを受け越後交通に譲渡され、同社長岡線モハ3005となった。外観上は2扉ステップ付きという、製造当初の形態に近似するものとなったが、長岡線昇圧に伴い1969年に廃車された。モハ3005はその後しばらく西長岡駅構内に留置されていたが、1972年に解体された。 このため、現存するものはない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京王電気軌道125形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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