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京畿道(キョンギド、けいきどう)は、大韓民国北西部(朝鮮半島中西部に位置する行政区で、朝鮮八道における「京畿道」からソウル特別市と仁川広域市、及び朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治範囲(後述)を除いた地域。道庁所在地は水原市。西は黄海に面している。 1945年の南北分断及び1953年の朝鮮戦争により京畿道は分断された。京畿道のうち、北朝鮮の実効支配下に置かれた開城地区は、北朝鮮では京畿道とは呼ばず、一時は直轄市とされていたが、現在は黄海北道の所属とされ、また開城工業地区が設定されている。 == 京畿道の歴史 == 京畿道は紀元前18年、三国時代から政治的に大変重要な場所だった。三国の一つであった百済の始祖温祚王が河南の慰礼城を首都に定めて以来、5世紀半ば漢江流域は高句麗に併合されたが、553年(真興王14年)新羅の領土となった。その後、三国を統一した統一新羅の全国9州のうち、今の京畿地域はハンサンジュ(漢山州)と称されるようになった。 統一新羅の次の王朝である高麗の太祖王健が開城を首都に定めてからは、京畿地域は歴史の中心舞台として浮上した。1018年(高麗顕宗9年)から当地域を正式に「京畿」と呼ぶようになった。そして朝鮮時代には、太祖李成桂が首都を漢陽に定めた後京畿地域を再調整し、太宗・世宗時代からは広州・水原・驪州・安城を含む東南地域が京畿に移属されるなど、現在の京畿道とほぼ同じ行政区域となった。1895年からは従来の行政区域が改編され新しく二十三府制が実施されることになり、京畿道は漢城府、仁川府、忠州府、公州府、開城府領域に属するようになった。 日本統治時代には1910年10月1日、従来の漢城府が京畿道に編入され京城府に改称されることになり、道庁が設置された。終戦と同時に大韓民国政府が発足し、1946年京畿道から首都ソウル特別市が分離され、京畿道の一部地域がソウル特別市に編入された。1967年には京畿道の道庁所在地がソウル特別市から水原市へと移された。1981年京畿道から仁川市が分離され、1989年と1995年金浦郡の一部、甕津郡、江華郡などの京畿地域が仁川広域市に編入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京畿道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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