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京義本線(キョンイほんせん)は、広義には大韓民国(韓国)ソウル特別市中区と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)新義州特別行政区(新義州市)とを結ぶ鉄道路線。 国家の南北分断に伴い路線も分断されており、韓国側ではソウル特別市中区にあるソウル駅から京畿道坡州市にある都羅山駅までの56.0kmが韓国鉄道公社(KORAIL)によって運営されている。本稿では主に韓国側の路線について記述する。 == 歴史 == === 大陸への動脈 === 1902年、漢城(現・ソウル) - 開城間の建設開始〔今日の歴史(5月8日) 聯合ニュース 2009/05/08付 閲覧〕。1904年、日露戦争の物資輸送のために、日本が漢城から中国国境の新義州までを突貫工事で結んだ鉄道(全長499.3km)が起源になっている(1905年開通、1906年4月3日全線(龍山駅 - 新義州駅)開通)。京城(現・ソウル)の「京」と新義州の「義」を取って京義線と呼んだ。 1908年4月には釜山駅 - 新義州駅間に急行列車「隆熙号」が運行を開始。1911年11月には安東駅~新義州駅間の鴨緑江鉄橋(初代中朝友好橋)が完工したことによって、1913年からは京義線・南満州鉄道・シベリア鉄道経由で京城からロンドン行の乗車券も発売された。更には、日本の東京などからも京釜線・関釜連絡船を介して連絡乗車券が販売されたという。詳しくは国際連絡運輸を参照。 当初の京義線は、京城の南の龍山駅を起点とし、現在の龍山線を通って北東へと延びていた。しかし1910年代後半には、龍山駅が手狭になったことと市内から離れていることから、日満間の列車が停まる朝鮮の玄関口となるにふさわしい新たな中央駅(京城駅)を京仁線の終端である南大門駅(現在のソウル駅)の場所に設けることとなった。京義線は南大門駅で京釜線と接続することになり新線建設が進められ、1920年にそれまでの龍山線経由に代わる新村駅経由の現在の本線が開通した。南大門駅は1923年に京城駅と改称され1925年に新駅舎が完成している。 新義州から満州地方にも鉄道線が延びており、1930年・1940年代には京釜線・京義線・満鉄線を結んで、釜山から満州国までの大陸連絡急行列車「ひかり」・「のぞみ」・「大陸」・「興亜」などが走っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京義線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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