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京郷新聞廃刊事件(キョンヒャンしんぶんはいかんじけん)は、李承晩政権(第一共和国)下の1959年、當時の韓国における野党系の大手新聞であった京郷新聞を政府が強制的に廃刊した事件である。数多くある李承晩政権による言論弾圧の中でも最大の事件となった。 ==概要== 『京郷新聞』は有力新聞の一つであり、カトリック系の財団が運営していた新聞であった。そして最大野党である民主党の最高委員で且つ副大統領でもあった張勉〔1956年の大統領選挙において、張勉が与党自由党の副大統領候補である李起鵬を抑えて当選を果たしたことで、正大統領と副大統領で政党が異なるねじれ現象が生じていた。正大統領が職務を遂行できなくなった場合、副大統領に自動的に権限を委譲されるため、当時80代となっていた李承晩の健康不安から自由党は政権を失いかねない事態に不安を強めていた。〕(カトリック信者)が、副大統領選出前まで同紙の経営に携わっていたこともあり、張勉を積極的に応援する姿勢を採っていただけでなく、与党・自由党の不正や腐敗を厳しく批判する報道姿勢を貫き通していた。そのため、翌1960年の大統領選挙での勝利を至上命令としていた李承晩政権は、張勉を支持する同紙を廃刊する強硬措置に打って出た。 1959年4月30日、政府広報室は米軍政法令〔1945年9月7日、アメリカ軍が南朝鮮に軍政を布告し、1948年8月15日に大韓民国政府が樹立されるまでのおよそ3年間、38度線以南の南朝鮮地域を統治するために制定、公布された法令である。法令の数は各種法律や法令が233件、布告が11件、命令は24件であった。1948年に大韓民国政府が樹立されて以降、軍政法令は憲法に依拠して失効したり、新しい法律に置き換えられ、最終的に1967年7月15日、旧法令整理に関する特別措置法によってすべて完了した。〕第88号(1946年5月29日公布)を適用して『京郷新聞』の発行許可を取り消した。取り消しの理由として、 :1:同紙が1959年1月11日付の社説「政府と与党の支離滅裂相」で、スコフィールド博士〔解放前の1916年~1930年まで朝鮮に滞在していたスコフィールド博士は李承晩大統領の招きで再び来韓し、韓国に定住していた。しかし「24保安法波動」(前年1958年12月24日の国会で新国家保安法が強行採決された事件)への批判を韓国日報に寄稿したことで政府からの反発を買ってしまい、帰国を勧告されていた。〕に対して李起鵬国会議長が帰国勧告した事に関する記事が、李起鵬議長の個人的名誉を毀損したのと同時に政界を混乱させた。 :2:2月4日付の短評「余滴」において、ヘメンス教授の「多数の暴政」という論文を引用して暴動を扇動。 :3:2月16日付3面において江原道洪川郡に駐屯している軍の師団長が師団に支給されたガソリンを横流ししたと、虚偽報道をした。 など5つの理由を挙げた。 廃刊処分に対し、京郷新聞側は、廃刊処分を「与党による野党封じ込め」であると反論、直ちに行政訴訟を提起した。その結果、1959年6月26日にソウル高等法院(裁判所)特別部は「廃刊処分の取り消し決定」を下し、これを受けて同紙は翌6月27日からの朝刊発行準備に取り掛かった。しかし、政府は廃刊処分取り消し決定に対抗して無期限発行停止処分を下し、再び無期停刊となった。無期限発行停止処分を受けて同紙は法院に取り消し処分の効力停止仮処分申請をしたが、ソウル高等法院は「停刊処分は適法で、米軍政法令第88号は違憲ではない」と判断した。このため、同紙は即刻、大法院に上告したが、大法院は軍政法令88号の違憲審査を憲法委員会にゆだねる決定を下した。しかし確定判決が出される前に「四月革命」が起こったことで、4月26日、大法院は「発行許可停止の行政処分を無効とする」決定を下した。 そして、翌4月27日、廃刊からほぼ一年ぶりに『京郷新聞』は復刊することができた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京郷新聞廃刊事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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