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京都五山(きょうとござん)とは、五山の制のうち京都の禅宗(臨済宗)の寺格、官寺制度である。 == 歴史 == 鎌倉時代末期頃から北条氏は南宋にならい五山制度を導入し鎌倉の寺院を中心とする五山を選定した。その構成は定かではないが、京都の寺院では建仁寺が当初の五山に含まれていたとされている。鎌倉時代後期に後醍醐天皇は討幕運動を起し、幕府滅亡後に後醍醐による建武の新政が開始されると五山も南禅寺と大徳寺を筆頭とする京都本位に改められた。足利尊氏が建武政権から離れて南北朝時代となると、尊氏や弟の足利直義などは禅宗を信仰したため、五山も足利将軍家が帰依していた夢窓疎石が中心となって京都の寺院から新たに制定された。数回の選定変更があったが、室町時代の1386年(至徳3)には3代将軍の足利義満が相国寺を創建した後に五山を京都五山と鎌倉五山に分割し、両五山の上に別格として南禅寺を置くという改革が行われた。僧録司制なども定めて住職の任命権などを掌握し、寺社の統制を行い幕府権威に宗教的側面を付加させた。 春屋妙葩や義堂周信らの五山僧は中国文化に通じ、また義満が日明貿易(勘合貿易)を行う際には外交顧問的役割も果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京都五山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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