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京都市(きょうとし)は、京都府南部に位置する市で、同府最大の都市であり、府庁所在地である。 政令指定都市に指定されており、11の区を置いている。市域は、山城国の葛野郡・愛宕郡・紀伊郡の全域、山城国の宇治郡・乙訓郡と丹波国桑田郡の一部、さらには山城国の久世郡・綴喜郡にもくい込んでいる〔山科区と伏見区東半が山城国宇治郡、西京区南半と南区の一部が山城国乙訓郡、左京区広河原・花脊と右京区京北が丹波国桑田郡、伏見区淀が山城国久世郡、淀のうち美豆が綴喜郡である。〕。 == 概要 == 日本全国の市の中で推計人口では第8位(参照)、昼間人口では神戸市を抜き第6位である。京都府最大の都市であり、府の人口の%を占める()。都道府県全体の人口の過半数を占める都市は、東京23区を一つの都市として考えない場合は京都市のみである。 都市雇用圏の基準では、京都市を中心として京都府南部・滋賀県南西部に広がる京都都市圏(京滋)は都市雇用圏として全国第4位の人口を擁し、また1.5%都市圏の基準では、京阪神大都市圏の一角を担う。 794年(延暦13年)に日本の首都になった平安京を基礎とする都市で、明治天皇が東京に行幸するまでの約1080年に渡って天皇家および公家が集住したため「千年の都」との雅称で呼ばれる(首都に関する議論は「日本の首都」を参照)。平安時代、室町時代の室町幕府期には日本の政治の唯一の中心であり、鎌倉時代、室町時代の中の戦国時代、安土桃山時代、江戸時代の幕末期などにおいても、日本の政治の中心のひとつとして大きな役割を果たした。 平安時代から江戸時代前期までは日本最大の都市であり、その市街地は「京中」、鎌倉時代以降は「洛中」と呼ばれ、都市としては「京」「京の都」「京都」と呼ばれた。江戸時代には三都、明治期には三市、大正期以降は六大都市(五大都市)の各々の一角を占め、戦後には政令指定都市になった。このような中で都市生活者向けの商工業が発達し、特に国内流通が活発化した江戸時代には、全国に製品を出荷する工業都市となる一方、数々の技術者を各地の藩の要請に従って派遣した。その伝統は現在も伝統工芸として残るのみならず、京セラや島津製作所など先端技術を持つ企業を初め、任天堂やワコールなど業界トップクラスの本社が集まるなど、現代産業を支えている地域の一つである。 第二次世界大戦の戦災被害を免れた神社仏閣、古い史跡、町並みが数多く存在し、宗教・貴族・武家・庶民などの様々な歴史的文化や祭りが国内外の観光客を引き寄せる観光都市でもあり、「国際観光文化都市法」にもとづく国際観光文化都市に指定されている。さらに、旧帝国大学の京都大学を初めとする多数の大学が集積し、国内外から学生や研究者が集まる学園都市ともなっており、国際会議観光都市に指定されている。 2008年(平成20年)7月28日には、門川大作市長は同市の都市経営戦略会議で、2011年度の実質赤字比率が推計で27%に達する見通しを発表し、財政再建団体への転落を示唆した〔京都未来まちづくりプラン - 京都市〕。しかし、その後の行財政改革により2010年度から黒字が続いている〔平成24年度決算参考データ集 ~データで見る京都市財政のあらまし~ - 京都市 平成25年9月〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京都市」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kyoto 」があります。 スポンサード リンク
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