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京都朝鮮学校公園占用抗議事件(きょうとちょうせんがっこうこうえんせんようこうぎじけん)は、日本の右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)・「主権回復を目指す会」(主権会)・「チーム関西」に所属する活動家らが、京都朝鮮第一初級学校(以下「初級学校」と表記)による勧進橋児童公園の不正占用に抗議するとして、2009年(平成21年)12月4日に同校校門前で抗議街宣活動を行い、抗議者側が威力業務妨害罪、朝鮮学校側が都市公園法違反に問われた事件。 安田浩一によると2009年までは特に地域住民から市への苦情などは寄せられていなかったとされるが、SAPIOの2014年6月号の記事によれば公園に近づけない、公園から追い出されるといった意見があり〔、2010年8月27日時点では公園の近所の住民から朝鮮学校が公園を校庭として使用していることについて既に京都市へ苦情が寄せられていた〔。抗議者側を批判する立場からは京都朝鮮学校襲撃事件と呼ばれる〔中村一成『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』(岩波書店、2014)〕。 2014年まで、刑事・民事のいずれについても確定判決が下りており、初級学校側は、都市公園法違反により罰金10万円の略式命令を受け〔、在特会等は、構成員等が刑事事件として侮辱罪・威力業務妨害罪・器物損壊罪について執行猶予付の判決を受けたほか〔、朝鮮学校側提訴の民事訴訟においても「公園の不法占拠を糾弾するだけでなく、在日朝鮮人を劣悪な存在であるとして嫌悪・蔑視し」「公益を図る目的であったということはできない」〔として街宣の禁止と計1226万円3140円の賠償命令を受けた〔。なお、この事件は、公安調査庁が年次で発行している内外情勢の回顧と展望(平成22年版)においても「排外主義を掲げ執拗な糾弾活動を展開する右派系グループ」として、コラム内で取り上げられている〔。 == 事件に至るまでの経緯 == === 背景事情 === 1946年(昭和21年)に設立された初級学校は、1960年(昭和35年)に校舎を勧進橋町に移転させた。その際に自前の運動場を確保できなかったことから、校舎に隣接する都市公園「勧進橋児童公園」に不許可で朝礼台等を設置し、学校の運動場として使用するようになった。 その後は公園内を金網で区切り、一方を児童公園として、一方を初級学校の運動場として使うという一種の「棲み分け」状態が続いた。運動場を使用しない時間帯は公園として一般に開放する運動場でバザー等の行事を開く際には近隣住民に挨拶して無料券を配るなど、初級学校側が近隣住民から理解を得ることに努めたこともあって、公園使用に関するトラブルは長い間起こっていなかったという。また同公園の管理者である京都市南部みどり管理事務所(以下「管理事務所」と表記)によると、2009年(平成21年)頃までは市民からの苦情や要請が寄せられることもなかったとされるが、地域の住民には不満があり、在特会による抗議活動前には、市側に苦情がよせられていたという。また、2010年8月27日時点では公園の近隣の住民から朝鮮学校が公園を校庭として使用していることに対して京都市へ苦情が寄せられていたことが明らかになっている〔。 SAPIOの2014年6月号の記事によれば70代の女性の「当初『公園の使用は平日の午前中だけ』という約束だったのに、いつの間にか朝礼台やサッカーゴールを持ち込んで朝から夕方まで使うようになったんですよ。土日もサッカーのクラブ活動で占領しているし、小さな子やお年寄りは公園に近づけなかったですね」という意見や70代の男性の「公園に行ったら若い教師に『ここはうちのグラウンドだ』と追い出されたこともあったよ。登下校時は生徒の送迎で道が大渋滞したし、夏祭りのときは焼肉の臭いと煙がすごかった。祭りで使えるビール券などを近所に配るんだけど、とても輪に入れる雰囲気ではなかったね」という意見がある。 なお初級学校側は1963年(昭和38年)に京都市・町内会と交渉して承諾を得た上で公園を使用していたと主張しているが、市側は当時の資料が残っていないため確認できないとしており、また朝礼台等の設置にあたって都市公園法上の正式な占用許可を得ていなかったため、後に当時の校長が罰金刑を科されている(後述)。 しかし2009年(平成21年)2月、阪神高速道路の延伸工事に伴い運動場部分との区切りに使われていた金網が撤去され、さらに公園全体の面積が小さくなったことで両者の「棲み分け」は困難になり、管理事務所にも近隣住民からの抗議の声が寄せられるようになった。そのため市側は公園内にあるサッカーゴールと朝礼台が初級学校の所有物であることを確認した上で、都市公園法に違反するとしてそれらを撤去するよう指導した。安田浩一によれば、その後の協議の結果、2010年(平成22年)1月に初級学校が設置物を撤去するとの合意がなされていたというが、その時期を過ぎても朝鮮学校は公園を使用し続けており、地元の住人が2011年夏になって要望書を京都市に提出したことで、市から運動場としての使用を禁止されることになった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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