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京阪50型電車(けいはん50がたでんしゃ)は、かつて京阪電気鉄道の京津線で使用されていた電車(路面電車車両)の一形式である。 == 沿革 == 1932年(昭和7年)7月に1次車として51が大阪鉄工所(現・日立造船)で、52 - 54が田中車輛(現・近畿車輛で製造され、1933年(昭和8年)2月1日に2次車として55が田中車輛で、56 - 58が日本車輌製造で製造された。台車は電動貨車から流用した高床式のものを履いた反面、逢坂山トンネルや急カーブに対応するため幅を詰めたことで、前面は高さの割に幅が狭く、また中央窓が左右の窓に比べて上下、左右ともに大きい独特のデザインとなった。1次車は濃緑色1色の塗装で登場したが、2次車は上半分クリーム色、下半分がコバルトブルーという京阪線の1000型・1100型に近い塗装となった。後に1次車は上半分だけを2次車と同じクリーム色に変更した後、2次車と同じ塗装に統一された。 1次車の51 - 54は種車より流用した直流直巻電動機を搭載、発電制動を備える。2次車の55 - 58(55・56は初代)は日本初の直流複巻電動機(東洋電機製造TDK-582-A)を用いた回生制動付き車両であった。ただし、当時の技術では下り勾配での減速時にしか回生制動が使用できず、また直接式制御だったために連結運転が不可能だった。 京津線で1934年(昭和9年)4月から運行が開始された急行用として運用され、三条大橋駅 - 浜大津駅間を21分で結んだ。 1949年(昭和24年)8月7日に四宮車庫で発生した火災によって8両全車が被災焼失した。このうち6両はそのまま翌1950年(昭和25年)1月31日付で廃車となったが、焼損度合が軽微であった発電制動仕様の52・54の2両についてはナニワ工機にて車体の修復工事が実施され、東洋電機製造にて修復された電装品を搭載、回生制動仕様車として復旧された。そのため、1950年(昭和25年)4月に竣功した際には54・52の順で55・56(いずれも2代)と改番され、廃車となった回生制動車の車番を継承した。 復旧された55・56はその後も京津線で使用された。戦後の塗装は上半分が濃いクリーム色、下半分が濃緑色であった。80型の導入に伴い、2両とも1968年(昭和43年)12月23日付で廃車となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京阪50型電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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