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京阪80形電車 : ミニ英和和英辞書
京阪80形電車[けいはん80かたちでんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
京阪 : [けいはん]
 【名詞】 1. Kyoto-Osaka 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

京阪80形電車 ( リダイレクト:京阪80型電車 ) : ウィキペディア日本語版
京阪80型電車[くるま]

京阪80型電車〔本形式が製造された当時、京阪は正式な形式称号に「」を使用しており、竣工時は「80型」であった。その後、鉄道事業法の施行に際して形式称号を「形」に変更したため、廃車時点では「80形」であった。〕(けいはん80がたでんしゃ)は、かつて京阪電気鉄道京津線に在籍した電車路面電車車両)である。
== 概要 ==
京津電軌による開業以来、京津線ではステップ付で路面上の低床ホームからの乗降が可能な車両が一般に使用され、戦後も京阪神急行電鉄時代の1949年(昭和24年)8月7日までは、50型70型といった一般の路面電車と大差ない車体を備える車両が使用されていたが、同日未明に発生した四宮車庫火災の結果、これらステップ付在来車はその大半が焼失してしまった〔当日四宮車庫に入庫していた25両中22両が被災し、うち17両は復旧不能として廃車処分に付された。22両の内訳は30型5両・50型8両・70型9両であり、いずれも当時の京津線における主力車両であった。〕。
このため、火災後の復旧過程で併用軌道上に停留所が存在する三条駅 - 浜大津駅間の各駅停車については低床ステップ付車両の残存全車〔石山線で使用されていて錦織車庫所属であったために焼失を免れた20型22 - 27と、事故復旧のために東洋機械興業に入場していたとされる70型72、それに焼失車の中で損傷の程度が低かったものを修復した50型55・56の合計9両。〕が集められ、この区間の運用に集中投入することで対処された。さらに、それ以外の浜大津直通急行・準急運用については高床・乗降ステップなしの一般車〔京阪線や宝塚線などから老朽化や小型であることなどを理由として余剰気味となっていたもので、かつ京津線や石山坂本線に入線可能な車体寸法の車両が可能な限りかき集められた。〕を充当し、併用軌道区間の各駅を通過扱いとすることで対処された〔これにより、当時の社会情勢では新造による迅速な補充が事実上不可能であった、ステップ付き車両の必要数そのものの削減が図られた。なお、当時は石山線にも低床ホームが残存しており、20型もそのために石山坂本線に配置されていたものであったが、そちらについては車両転出に伴う不足分を、休止中の北野線用でステップ付きの34形→京阪5型(木造の老朽車で、性能面での不足から京津線へは充当が困難であった)3両で補っている。つまり、四宮車庫火災後に京津線併用軌道区間へ投入された9両でさえ、無理に無理を重ねて捻出したものであった。〕。
1956年(昭和31年)の国鉄東海道本線の全線電化完成以降、国電区間の延長もあって、京津線沿線では宅地開発が急ピッチで進展した。この結果京津線の乗客数はこの時期以降、明らかな急増傾向を示すようになり、これら既存の併用軌道区間専用車両ではラッシュ時の輸送力が不足することが明らかとなった。このため、同時期には朝のラッシュ対策として低床用扉を備え、元来は京阪線 - 京津線直通車であったために収容力の大きな60型連接車をこの区間に投入することが行われている。
しかし、これらの在来車はいずれも高経年の老朽車であった。特に主力車両であった20型は1914年(大正3年)に新製された京津電軌16形を出自とする小型木造車である故に収容力が致命的に不足しており〔それゆえに輸送密度の低い石山線に転用したにもかかわらず、四宮車庫火災でやむなく京津線に戻したものであった。〕、また車両火災対策の観点からも早急に車両代替を実施する必要に迫られていた。
こうして1961年(昭和36年)8月より京津線の各駅停車用として製造されたのが本形式である。大津線向け車両としては1928年(昭和3年)に新製された30型37 - 42以来、実に33年ぶりの純新車の導入であった〔30形以降、50型・70型の2形式が大津線向けに新製されているが、いずれも一部の主要機器に従来車の発生品を採用したセミ新車であった。〕。路面区間用の20・50・70型の各形式のみならず、60型の代替も含めて増備が繰り返され、1970年(昭和45年)10月までに81 - 96の計16両が近畿車輛で製造された。
吊り掛け駆動車である本形式は、カテゴリ的には「旧性能車」に分類されるが、大出力電動機と精緻な制御器により、小型低床車体の路面電車ながら各駅停車のみならず急行・準急運用にも充当可能な走行特性を両立した、当時の高速電車で一般的な「新性能車」を凌駕する内容を備える高性能車両であった。このため単純に「吊り掛け駆動=旧性能車」とは言えない例である。
なお搬入にあたっては、初期を除きかつて京阪本線天満橋駅 - 京橋駅間に存在した片町駅構内の引き込み線から搬入し、さらに三条駅構内に存在した連絡線を介して大津線へと送られて行った〔出典・レイル№74『京阪ロマンスカー史(下)』(プレスアイゼンバーン)、38頁に片町駅から「びわこ号」に牽引され回送される80形の写真が掲載。撮影日は1964年2月28日 このほか片町駅#京阪電気鉄道もご参照いただきたい。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「京阪80型電車」の詳細全文を読む




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