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仁保 亀松(にほ かめまつ、1868年4月24日(慶応4年4月2日)- 1943年(昭和18年)9月26日)は、日本の法学者。京都帝国大学名誉教授。財団法人立命館初代協議員。日本民法典の成立に寄与。 == 略歴 == * 三重県阿拝郡西柘植村大字新堂(現在の伊賀市)に生まれる。 * 1893年(明治26年):東京帝国大学法科(現在の東大法学部)卒業。大学院に進み研究を続ける一方、政府の法典起草補助委員(穂積陳重付き)として調査・研究に従事した。 * 1897年:法理学研究のためドイツ留学(明治33年帰国)。 * 1900年:ドイツから帰国し京都帝国大学教授。京都法政学校講師。 * 1901年:法学博士。 * 1913年(大正2年):沢柳事件。仁保は京都帝大法科大学学長(現在の法学部長)として教官人事には教授会の同意が必要との旨を主張、教授会自治の確立に尽力。 * 1921年:中国大陸を視察。 : 昭和天皇が皇太子時代の法学教師も勤めた。 * 1929年(昭和4年):京都帝大を退官、京都帝国大学大学名誉教授。同年関西大学に迎えられ、松本烝治の後任として関西大学第13代学長に就任。 : その後、毎日新聞顧問等も歴任。また自らの財産を使い郷里の西柘植村で荒地を開墾、小学校を設立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仁保亀松」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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