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仁尾 惟茂(にお これしげ、嘉永5年12月28日〔『大正人名辞典』P.1269〕(1853年2月6日) – 昭和7年(1932年)4月11日〔『官報』第1585号、昭和7年4月14日〕)は、貴族院勅選議員、大蔵官僚。錦鶏間祗候〔『官報』第1586号、昭和7年4月15日〕。 == 経歴 == 土佐藩士仁尾宗直の子として生まれた。安岡良亮の門に学んだ後、戊辰戦争に従軍した。1872年(明治5年)より熊本県に出仕したが、1876年(明治9年)に神風連の乱に遭い、戦いで負傷した。後に福岡県に転じ、福岡収税長に進み、1887年(明治20年)からは大蔵省参事官を兼ねた。 日清戦争がおきると、李氏朝鮮に度支部顧問として派遣され〔『官報』第3440号、明治27年12月14日〕、財政改革にあたった。帰国後は専売事業を手掛け、専売局長、煙草専売局長、煙草専売局長官〔『官報』第6275号、明治37年6月2日〕、専売局長官〔『官報』第7279号、明治40年10月2日〕を歴任した。 1907年(明治40年)に退官し〔『官報』第7342号、明治40年12月17日〕、貴族院議員に勅選された〔『官報』第7337号、明治40年12月11日〕。1916年(大正5年)3月27日、錦鶏間祗候となる〔『官報』第1094号、大正5年3月28日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仁尾惟茂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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