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仇池(きゅうち)は、後漢の建安年間に氐人の楊騰率が部衆を率いて樹立した地方政権。西晋時代の八王の乱期に本格的に独立し、五胡十六国時代に割拠した勢力である。仇池とは嘉陵江の支流西漢水上流の地名で現在の甘粛省成県に当たる。 == 前仇池 == === 建国期 === 三国時代、現在の甘肅省一帯に勢力を有した氐王阿貴匯は、涼州の馬超・韓遂・楊秋らと協力して曹操に対抗していた。しかし相次ぐ敗戦により一部の勢力は蜀へと投降し、投降しなかった者は曹操により扶風、天水一帯へと移された。司馬昭の時代になると、氐人の楊飛龍は西晋より征西将軍に封じられ、部衆を率いて「還居略陽」の故地回復運動を開始した。 楊飛龍の養子になった楊茂搜は296年、西晋が八王の乱で乱れ、また同年に発生した斉万年の乱で関中が乱れると仇池に移り〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P76〕、自ら輔国将軍、右賢王を称し、氐族部衆に擁立され王位に就いたが、これが地方政権としての仇池の建国である〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P77〕。建国後は仇池公を称し、武都、陰平の2郡を統治した。楊茂搜は西晋に服属しながら関中の混乱を避ける流民を吸収して勢力を拡大したため、西晋も左賢王として認めざるを得なくなった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仇池」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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