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今井 兼平(いまい かねひら)は平安時代末期の武将。正式な名のりは中原 兼平(なかはら の かねひら)。父は中原兼遠。木曾義仲の乳母子で義仲四天王の一人。兄に樋口兼光、弟に今井兼光、妹に巴御前がいる。信濃国今井〔更級郡今井(長野市川中島町今井)、筑摩郡今井(松本市今井)、佐久郡今井(佐久市今井)など諸説ある。〕の地を領して今井を称した。 == 生涯 == 義仲の乳母子として共に育ち、兄の兼光と共に側近として仕える。治承・寿永の乱では治承4年(1180年)の義仲挙兵に従い、養和元年(1181年)5月、横田河原の戦いで城助職を破る。寿永2年(1183年)、般若野の戦い・倶利伽羅峠の戦い・篠原の戦いで平氏軍を破り、7月には平氏を都落ちさせて義仲と共に入京。10月、福隆寺縄手の戦いで妹尾兼康を破る。11月、後白河法皇と義仲が対立した法住寺合戦では、兼平・兼光兄弟の活躍が著しかった。元暦元年(1184年)正月、鎌倉軍に追われ敗走する義仲に従い、粟津の戦いで討ち死にした義仲の後を追って自害した。享年33。 その壮絶な最期は、乳兄弟の絆の強さを示すエピソードとして知られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今井兼平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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