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今井 敬(いまい たかし、1929年(昭和4年)12月23日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵(現・新日鐵住金)相談役名誉会長、元社長。日本経済団体連合会名誉会長で、第9代経済団体連合会会長。現在は公益財団法人国際花と緑の博覧会記念協会会長、全日本交通安全協会の会長・新潟県知事泉田裕彦後援会相談役、公益財団法人日本国際フォーラム代表理事(会長)、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役〔日テレ企業・IR情報 及び第81期日本テレビホールディングス有価証券報告書。〕などを務める。 == 来歴・人物 == 神奈川県出身。兄は今井善衛元通商産業事務次官。次兄は今井謙治(第1護衛隊群司令、海将補)。姉は北京大学、九州大学農学部教授を務めた大橋育英夫人。 ハリス記念鎌倉幼稚園、鎌倉第一小学校、東京都立第一中学校、78期海兵予科中退を経て、1946年9月一高入学。1952年3月東京大学法学部卒業後、富士製鐵(新日鉄の前身)に入社。 入社直後から常務取締役までほぼ一貫して原料購買など業務畑を歩み、その間、釜石製鐵所には二度勤務する。財務担当の常務時代に固定費削減を訴え、高炉13基のうち5基を休止するなど徹底的な合理化を推進。社長就任時には「創業的大リストラ」として3000億円のコスト削減を打ち出し、アジア通貨危機など鉄鋼需要の激減時にも経常黒字を維持する強固な経営体質を築いた。 東大時代から囲碁を好み、日本棋院総裁を務める。都立日比谷高校の同窓会である如蘭会の会長も務めていたが、保田博にバトンタッチした。産業構造審議会など多くの政府関係委員を歴任し、経団連会長を務めるなど財界の大物論客。 読売新聞解説面の『時代の証言者』や日本経済新聞『私の履歴書』などで自叙伝を連載。 トヨタ自動車元社長の豊田達郎は東京都立第一中学校の同期。前任の新日本製鐵社長である齋藤裕も中学の先輩。豊田達郎とは、新日本製鐵がトヨタ自動車重視の方針をとっていたことから、新日本製鐵とトヨタ自動車の会合後に、宴会をともにすることも多く、後年一中人脈の有益さを振り返っている。同窓会である如蘭会会長も務めた。1998年、豊田達郎の兄で、中学の先輩にもあたる豊田章一郎から電話で依頼を受け、豊田章一郎の後任として関本忠弘を制して昭和生まれで初の経団連会長となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今井敬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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