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今井 繁三郎(いまい しげさぶろう、明治43年(1910年)2月7日-平成14年(2002年)1月9日)は、日本の画家。羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。山形県東田川郡羽黒町(現・鶴岡市)出身。 == 略歴 == *1910年、2月7日、山形県東田川郡羽黒町(旧泉村)戸野に生まれる。 *1927年、3月、山形県立鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業後、画家を志し上京する。 *芝絵画研究所に入所、山本鼎・山崎省三・木村荘八らに指導を受ける。 *1930年、尾口勇に油絵の古典技法を学ぶ。 *1936年、鷲田新太の誘いにより美之国社に入社。美術雑誌「美之国」の編集に携わる。 *1937年、自由美術家協会創立に参加。 *1941年、東北生活美術協会を結成。銀座資生堂にて展覧会を開催。 *10月、美之国社の客員となり、海軍省の従軍画家として南方に赴く。 *1942年5月、帰国する。銀座資生堂にて展覧会を開催。 *7月、満州国に赴き当時の奉天・新京・ハルピン熱河を写生旅行し9月に帰国する。 *1943年、銀座村松画廊にて「海南島風物画展」開催。 *7月、台湾に赴き、台北・高雄にて個展開催。全島を巡る。 *10月、沖縄沖にて米艦の襲撃を受けるも、僚船に助けられて帰国。 *1945年、敗戦、東京を離れて郷里に帰り、山野を拓いて家族と共に住み、7年間ランプ生活を体験する。 *1946年、日動画廊にて旧自由美術家協会の会員展を開催。 *1947年、毎日新聞主催美術団体連合展、都美術館で開催。 *1956年、山形県美術連盟運営委員長に就任。 *1957年、白甕者委員長に就任。 *1964年10月、欧州に赴き、パリに滞在する。 *1975年、「(株)ブルー」の取締役に就任。 *1976年、美術団体「光陽会」の委員となる。 *1979年11月、齋藤茂吉文化賞受賞。 *1981年、サントリー地域文化賞受賞。 *1983年5月、光陽会文部大臣奨励賞受賞。 *1989年、美術団体「光陽会」の委員長に就任。 *1990年、羽黒町泉野の自宅庭に今井繁三郎美術収蔵館を設立。 *1996年11月、鶴岡市特別文化功績賞を受賞。 *1998年11月 長崎県立美術博物館にて回顧展開催。 *1999年10月、O美術館(東京都)にて90歳展開催。 *2000年、山形美術館にて2000年記念展を開催。アート・CON(混)結成、文藝春秋画廊にて開催。 *2001年2月9日 羽黒町名誉町民となる。 *2002年1月9日 死去。享年91 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今井繁三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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