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楯甲 幸男(たてかぶと さちお、本名:南 幸男(みなみ さちお)、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で、中村部屋に所属した大相撲力士。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、押し、寄り。 == 来歴・人物 == 17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。 三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。この頃は、「今大嶋」と名乗っていた。 西十両15枚目に在った1952年5月場所では、12勝3敗と大きく勝ち越し、十両優勝を遂げている。新入幕を果たしたのは1954年3月場所での事で、初土俵から12年2ヶ月を要した。なお、入幕に先立って、当時の師匠(元前頭1・楯甲新蔵)の現役名をそのまま襲名して「楯甲」へと改名している。 左四つからの寄りや押しを得意としたが、極度の近視だった事もあってか、速攻相撲の力士には苦戦したという。幕内には計3度昇進したが、いずれも負け越している(1954年3月場所…5勝10敗、1955年9月場所…6勝9敗、1956年3月場所…4勝11敗)。 二所ノ関一門の巡業では初っ切りを担当したり、相撲甚句を詠んでいた事がある。大食で知られ、ある時寿司の大食い大会を行った際に93個で2位だったが、「その前に餅を15個食わなければよかった」と悔やんだという逸話がある。 現役晩年は幕下26枚目まで陥落し、1958年7月場所後、33歳で廃業。 その後は日立造船に勤務する傍ら、同社の相撲部の指導にも当たった。 2002年5月28日、逝去。77歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楯甲幸男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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