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今川 憲次 (いまがわ けんじ ''IMAGAWA Kenji''、1908年1月20日 - 1984年4月17日)は北海道・根室市出身の英文学者、大学教授。第八高等学校教授等を経て、南山大学で教鞭をとる。中世英文学とカトリック系文学の解明をライフワークとした。言語時評を中心とした軽妙洒脱なエッセイの書き手として活躍。妻・蕁子(かずこ)は文化学院女学部の教師時代に、与謝野晶子の助手として師事〔『幾山河:金婚記念』(今川蕁子との共著、名古屋: 朝日新聞本社)、pp. 13, 134-135, 149-150〕。同僚に、西村伊作、戸川秋骨、与謝野寛、西脇マジョリーがいた〔『幾山河』、p. 160 (このページには学院を支えた人々のグループ写真が掲載されている)〕。 今川の文学研究のありように関して、遠藤周作は他の欧米文学研究者と基本的にちがう点をあげ、「文学研究をとおして御自分の基督教を練磨」〔遠藤周作「序」『カトリック小説考:グレアム・グリーンと遠藤周作を中心に』(今川憲次著、南雲堂)、p. 1〕したことにあると、最高の賛辞をもって評した。 == 経歴 == *1907年1月20日:北海道根室市に生まれる *1921年4月:札幌第一中学校入学 *1928年3月:第四高等学校文科甲類卒業 *1931年3月:東京帝国大学文学部英文科卒業 *1931年4月:横浜専門学校(現・神奈川大学)英語教授 *1932年10月:鈴木蕁子と結婚 *1937年4月:大倉高商(現・東京経済大学)英語教授 *1939年4月:第八高等学校教授 *1945年:海軍衛生兵、図書館勤務〔『幾山河』、p. 137〕 *1949年4月:名古屋大学教授兼任 *1950年:南山大学文学部教授 ニューヨーク市フォーダム大学大学院に留学(中世英文学専攻)、1952年に文学修士号を取得し帰国 *1963年4月:南山大学外国語学部英米科長 *1969年:フルブライト交換教授として渡米(1970年8月まで) *1970年:ブリティッシュ・カウンシルの招聘で渡英、同年帰国 *1972年4月:南山大学外国語学部長 *1976年4月:南山大学文学部教授に所属変更 *1977年4月:南山大学文学部大学院文学研究科教授 *1978年3月:定年により南山大学退職 *1978年4月:南山大学名誉教授 *1980年:勲三等瑞章を授与 *1984年4月17日:逝去 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今川憲次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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