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今川 氏兼(いまがわ うじかね)は、南北朝時代から室町時代初期の武将。源姓蒲原氏の祖となる。 == 略歴 == * 元徳元年(1329年)前後、今川範国の三男として生まれる。 * 建武3年(1336年)、吉良満義から三河須美保政所職をうける。 * 建武5年(1338年)、吉良貞義から三河国幡豆郡吉良西条、今川、一色のうちで、今川常氏と父・範国の旧領を宛行われ、所領とする。 * 貞治3年(1364年)、京都に於いて父・範国の名代として越後守奉書を発するなどの補佐を行う。 * 応安3年(1370年)、管領細川頼之に従い、河内国において戦功があり、将軍足利義満より遠江山梨郷を賜り、越後守護代に補される。また、兄・貞世が九州探題となり、氏兼も兄に従って九州に赴き、兄を援けて九州南朝方の菊池勢と戦い、応安7年(1374年)京都に帰陣。 * 応永3年(1396年)、直世と改名する。 * 応永5年(1398年)前後、蒲原にて没す。 蒲原氏への名乗りについては、氏兼が九州に赴く際には蒲原氏を名乗っていたという記録(『水江臣記』(みずがえしんき)に係る「多久諸家系図」)もあるが、氏兼の孫の氏頼が永享4年(1432年)将軍足利義教の富士遊覧の際、その警固を務めた功により駿河国蒲原城と蒲原庄を氏頼に賜り、その時に今川氏を改め蒲原氏を名乗ったとも云われており、定かではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今川氏兼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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