|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 今 : [こん] 【名詞】 1. this 2. now ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 氏 : [うじ] 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth
今川 氏睦(いまがわ うじみち)は、江戸時代の高家旗本。一門の品川家から養子に迎えられて家督を継ぎ、高家職(奥高家)に就任した。 == 生涯 == 寛文8年(1668年)、旗本品川高寛の長男として生まれる。延宝元年(1673年)、今川氏堯の死に際して末期養子となり、12月11日に6歳で家督を相続する。 延宝3年(1675年)10月7日、将軍徳川家綱に御目見する。天和3年(1683年)7月13日〔『今川氏と観泉寺』p.47〕、北条氏平の娘と婚姻。元禄元年(1688年)11月14日、高家職(奥高家)に就任。このとき、従兄弟(血縁上は従兄弟の子にあたる)品川伊氏も同時に高家職となっている。12月15日、従五位下侍従に叙任、刑部大輔を称し、後に丹後守に改める。 元禄2年(1689年)閏1月15日に小姓に転任するが、閏1月26日に高家職に復帰する。徳川綱吉の時代には、こうした短期間での人事異動や、制度(高家の家柄の者が就任する役職は高家職のみ)に従わない人事がよく見られた。高家職復帰後は伊勢神宮・日光東照宮への代参使や公卿の迎接にあたっている。 元禄6年(1693年)10月13日、再び御小姓に転任するが11月23日に解任、高家職にも戻ることなく、表高家衆に列する。 元禄12年(1699年)6月25日死去、享年32。氏睦には子女がなかったため、伊氏の子範高を末期養子に迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今川氏睦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|