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今川 氏親(いまがわ うじちか)は戦国時代の武将・守護大名・戦国大名である。駿河今川家9代当主。駿河・遠江守護。父は今川義忠、母は幕臣伊勢盛定の娘・北川殿で、北条早雲の甥、今川義元の父に当たる。 == 生涯 == === 出生 === 父・義忠が応仁の乱で東軍に味方して上洛していた時に、母の北川殿と結婚したと考えられている〔小和田(1983),p.134.〕。北川殿は伊勢新九郎盛時(北条早雲)の姉〔近代以降は史書でも小説でも妹と書かれているものが多いが、妹というのは新九郎の生年を永享4年(1432年)とする『北条五代記』に従うと、姉では年をとり過ぎて計算が合わないため妹と考えられたものである。だが、江戸時代の資料では姉、または叔母と記述されており、更に最近の研究では『北条五代記』の説を否定して、新九郎の生年は康正2年(1456年)であると考えられている。その場合、北川殿を姉とする江戸時代の文書の記述が正しかったことになる。黒田(2005),pp.13-17.〕である。伊勢新九郎が素浪人と考えられていた頃は側室とされていたが、近年の研究で室町幕府政所執事の名門伊勢氏の一族で、しかも幕府の申次衆であることがほぼ明らかになっており、北川殿は正室だったと考えられている〔小和田(1983),pp.133-134.〕。文明5年(1473年)(文明3年(1471年)とも)に北川殿の子として生まれた。北川殿の弟が盛時であったことが、氏親の生涯に大きな影響を与えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今川氏親」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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