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今川 義忠(いまがわ よしただ)は室町時代から戦国時代の武将、守護大名。駿河国守護。駿河今川家第6代当主。義元の祖父にあたる。 == 生涯 == === 家督相続まで === 嘉吉3年(1441年)、嘉吉の乱に際して父・範忠の名代として1,000騎を率いて尾張国まで出陣している〔『今川記』では範政とされているが、範政は永享5年(1433年)に没しており、名代は龍王丸(義忠)と思われる。小和田(1983),p.124.〕。 康正2年(1454年)の享徳の乱では、室町幕府より鎌倉公方・足利成氏討伐を命じられた父の名代として出陣し、鎌倉を攻略した功により、第8代将軍・足利義政から感状を受けた。なお元服して将軍・義政の偏諱(「義」の字)を受け義忠(「忠」は父・範忠の1字)と名乗ったのは、この前後と思われる。 そして寛正2年(1461年)に父の危篤を受けて駿河守護職を継承。家督を継承した義忠は、将軍・義政よりその庶兄である堀越公方・足利政知への援助を申し受けている。また、寛正6年(1466年)には甲斐国の武田信昌と共に鎌倉から古河へ移った成氏の討伐を命じられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今川義忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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