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今村力三郎 : ミニ英和和英辞書
今村力三郎[いまむら りきさぶろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こん]
 【名詞】 1. this 2. now
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [ちから, りょく]
  1. (n-suf) strength 2. power 
: [み]
  1. (num) three 

今村力三郎 : ウィキペディア日本語版
今村力三郎[いまむら りきさぶろう]

今村 力三郎(いまむら りきさぶろう、1866年6月14日慶応2年5月2日 ) - 1954年昭和29年)6月12日)は、日本の弁護士であり、元裁判官専修大学総長(第5代)。
==生涯==
信濃国(現長野県下伊那郡上飯田村(現飯田市)に生まれる。旧姓は蜂谷であったが、今村家の養子となって今村姓を名のった。1884年に上京し、伴正臣大審院(現最高裁判所判事の玄関番をしながら、1886年専修学校法律科(現専修大学法学部)に入学する。1888年、在学中に代言人試験(現司法試験)に合格して、専修学校を首席で卒業し、1889年から弁護士としての活動を開始した。1894年から1898年裁判官として任官した後、1954年に没するまで在野法曹として、民事および刑事の多岐にわたる事件を扱い活躍した。足尾鉱毒事件の弁護を担当したことから、田中正造を介して幸徳秋水と知り合い、後に大逆事件の弁護を引き受けることになる。
弁護士活動のかたわら、1920年から35年間にわたって、母校である専修大学の評議員や理事を務めた。1946年、当時今村は80歳を超えていたが、学生からの懇願もあり、修善寺の別荘での隠居生活を引き払い、総長に就任した。当時は戦後の学制改革として、旧制大学から新制大学への移行期であり、それに伴う設置基準により、施設や人員を整備することが要請されていたものの財政的に厳しく、専修大学は存亡の危機に立たされていたが、日本電気(NEC)から現在の生田キャンパスを入手して施設を拡充させ、同時に学部の拡張を図り、その危機を乗り切った。晩年は校舎の一隅に居を構えて生活し、大学の再建に奔走した〔専修大学育友会 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「今村力三郎」の詳細全文を読む




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