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今村 繁三(いまむら しげぞう、1877年(明治10年) - 1956年(昭和31年)4月19日)は、横浜生まれの銀行家。 == 略歴 == 相場で財を成した実業家、今村清之助の次男として生まれる〔時事新報 1916.3.29-1916.10.6(大正5)、神戸大学新聞記事文庫〕。東京高等師範学校附属中学に学び、英国ケンブリッジ市にある全寮制パブリックスクール The Leys School に留学した。この学校は『チップス先生さようなら』のモデルとなった名門で、チャペルには後に今村らが寄付したこと記念して彼らの名前を記したステンドグラスが残っている。皇太子時代の昭和天皇が訪問したことでも知られる。1899年に英国トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)に進学し、1902年に文学士の学位を受ける〔。 父親が亡くなったため帰国し、20代半ばで莫大な財産を相続、父の残した今村銀行を引き継ぐ〔(碌堂) 編 (毎夕新聞社, 1909) 〕。今村銀行頭取、汽車製造株式会社取締役として〔、高輪のアトリエ付きの豪邸に住み、附属中学時代の旧友中村春ニが始めた成蹊園を岩崎小弥太とともに財政的に支援し、画家のパトロン(中村彝や曾宮一念など)、花柳界の遊び人としても名を馳せたが、銀行の経営が悪化し、世界恐慌のあおりも受けて没落。邸宅を売り払い、所有していた美術品などを売りながら78歳まで生きた。 尚、現在の日立中央研究所(国分寺市)の場所に、今村繁三の別荘があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今村繁三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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