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今村 豊(いまむら ゆたか、1961年6月22日〔蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P158。〕〔 - )は、山口県山陽小野田市(旧小野田市)出身〔の、競艇選手。登録番号は2992、48期生。身長163cm、体重49kg、血液型はA。ニックネームは、「艇界のプリンス」〔木村1992、36-37頁。〕、「今やん」、「ミスター競艇」。妻は元ボートレーサーの庄島真知子 (2996)。 == 来歴 == 1961年6月22日、山口県小野田市(現在の山陽小野田市)に生まれる〔木村1992、12頁。〕。父親には「息子を競艇選手にしたい」という願望があり、今村はそれを受け入れる形で競艇選手となった〔木村1992、13頁。〕。 1981年5月にデビュー。デビュー戦ではいきなり1着を取り、優出まで駒を進めるなど、見るものを驚愕させた。デビュー期に6.20の勝率を残し、半年でC級からA級へ特進を果たす〔木村1992、9頁。〕。1982年4月の蒲郡競艇場で初優勝。1982年5月にSG初出場(第10回笹川賞競走)を果たすと、デビューから1年半のうちに当時4つあったSGレースすべてに出場した〔。同年7月の丸亀競艇場・周年記念でGI初優勝、10月の全日本選手権でSG初優出。1982年の最優秀新人賞を受賞した。1984年、史上最年少(22歳)〔、かつデビュー最短(3年)で、SG(第11回笹川賞(浜名湖競艇場))を獲得するなど、競艇界でトップレーサーの一人となる。 1992年頃から特定疾患(=難病)の一種であるメニエール病を患い、一時はレースを欠場することも多くなっていた。現在でも時折再発し今村を悩ませているが、それでもなおトップクラスのレーサーとして君臨し続けている。人格者でもあり、後輩達を威圧するようなことは行わず、彼を慕う者も数多い。 1992年を最後にSGタイトルから遠ざかっていたが、2004年の総理大臣杯(福岡競艇場)を制し、12年ぶりにSGタイトルホルダーに返り咲くと共に、公営競技選手初の生涯獲得賞金20億円突破を達成した。年末の賞金王決定戦では優出を逃したが、この年はSG競走優勝1回・GI競走優勝4回の好成績を収めたため、2004年の最優秀選手と最多賞金獲得選手を受賞した〔ミスター競艇 今村豊 (後編) 〕。 全速ターンを武器にA級に定着している。数々の記録を持ち、「今村以前と以後では競艇が変わった」といわれるほどの天才である。野中和夫は後年の競艇番組の収録の際のインタビューで「(今村が台頭してきた)あの時分は全速ターンをする奴なんかおらんかった」と語っていた。 2007年1月17日、第16回JR四国ワープ杯競走(GIII・丸亀競艇場)2日目第12レースで通算2,000勝達成。 2010年4月、競艇名人戦を資格取得(48歳以上)1年目で初出場、初優出(2着)。 2010年8月、モーターボート記念で2000番台の選手では初めてSGナイター競走の覇者になった。(SGナイター覇者では現在最古参の選手) 2011年4月、名人戦資格2年目で初優勝。 2014年3月22日、徳山競艇場一般戦、5日目第12レース準優勝戦に勝利し、通算2,500勝を達成〔登録第2992号 今村豊選手(山口)2,500勝達成 - BOAT RACE OFFICIAL WEB 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今村豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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