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今村 貞雄(いまむら さだお、1905年〔『日本アルプス探検記録 白い山脈』、清水達夫編、平凡出版、1957年、奥付プロフィール。〕 - 没年不詳)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、脚本家である。太平洋戦争開戦前は、新興キネマ東京撮影所の撮影部長〔『日本映画発達史 III』、田中純一郎、中公文庫、1980年 ISBN 4122003059, p.48.〕(製作部長〔)を務め、戦後は、ドキュメンタリー映画の製作会社ラジオ映画、テレビ映画の代表を務めた〔。 == 人物・来歴 == 1905年(明治38年)、北海道に生まれる〔。 1930年代(昭和5年以降)に松竹蒲田撮影所ニュース部に所属し、『大満蒙 蒙古篇』等のドキュメンタリー映画を手がける。1935年(昭和10年)2月に新興キネマが東京市板橋区東大泉町(現在の東京都練馬区東大泉)に開所した新興キネマ東京撮影所(現在の東映東京撮影所)の所長に、ニュース部の先輩の六車修が就任し、松竹大船撮影所にいた今村を引き抜いた〔。今村は、同撮影所の撮影部長(現在でいう製作部長)に就任〔、ドキュメンタリー映画や現代劇の製作を手がけた。 戦後は、1947年(昭和22年)に関孝二らと目黒区柿ノ木坂町(現在の東が丘1丁目あたり)に製作会社・ラジオ映画を設立、動物ものを中心としたドキュメンタリー映画やルポルタージュものを製作した〔『日本映画監督全集』、キネマ旬報社、1976年、p.227-228、「関孝二」の項(執筆川島のぶ子)。〕。同社を1953年(昭和28年)ごろまでつづけたのち、製作会社・テレビ映画を設立、代表に就任した〔。同社の第1回作品として、1954年(昭和29年)、佐藤武監督の『嘘』をプロデュースしている〔嘘 、キネマ旬報社、2009年11月14日閲覧。〕。翌1955年(昭和30年)には、新東宝の大蔵貢の富士映画で、丸根賛太郎監督の劇映画『天下の若君漫遊記』をプロデュースしている。 1957年(昭和32年)、永田雅一の大映で、永田のプロデュースのもと、ドキュメンタリー映画『白い山脈』を監督し、同年の第10回カンヌ国際映画祭でパルムドールにノミネートされてコンペディション上映され、ロマンティックドキュメンタリー賞を受賞した〔#外部リンク、Sadao Imamura, Internet Movie Database, 2009年11月14日閲覧。〕。大映の東京撮影所(現在の角川大映撮影所)に置かれた生物映画研究所に所属し、ドキュメンタリー映画を監督したが、以降の記録が不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今村貞雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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