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今枝 重直(いまえだ しげなお)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、前田氏の家臣。 == 経歴 == 天文23年(1554年)、斎藤道三の家臣・今枝忠光の子として生まれる。 織田信長に仕え、元亀元年(1570年)稲葉良通に属して姉川の戦いに出陣。元亀元年(1571年)安藤守就に属して伊勢長島に出陣。天正3年(1575年)長篠の戦いに出陣。 信長没後は次男・織田信雄に仕え、天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに出陣。敵方の池田恒興勢を偵察中に、陣中の池田氏家臣で重直の妹婿・日置忠勝から狙撃を受けている。 後に豊臣秀吉、豊臣秀次に仕え、秀次の家臣として5300石の知行を得る。文禄3年(1594年)秀次の奏請で従五位下内記に叙任。同じく秀次に仕える津田重久と共に、豊臣姓を賜った(津田重久ものち、前田家に仕えた)。 文禄4年(1595年)秀次の没後、前田利長に3000石で仕える。後に2500石加増。慶長3年(1598年)に日置忠勝の五男・直恒を養子に迎えた。以来、今枝家と日置家は代々縁組を重ねる間柄となった。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦時には、前田家の北陸方面の戦いに参加し、西軍の山口宗永の加賀国大聖寺城攻めに出陣。 慶長19年(1614年)大坂冬の陣には奥村栄明に属して出陣。慶長20年(1615年)大坂夏の陣に出陣。 元和5年(1619年)、隠居。家督を養子の直恒に譲り、隠居料500石を賜る。寛永4年(1627年)12月金沢で死去。享年74。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今枝重直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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